話題のユネスコには、アメリカが参加していない。(哲




2015ソスN10ソスソス11ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 11102015

 稲妻や笑ふ女にただ土下座

                           正津 勉

妻をご神体とする神社があります。群馬県富岡市にある貫前(きぬさき)神社です。神社はふつう、石段を登った先に本殿がありますが、ここは石段を下ります。本殿まで下ってきた石段を見上げると、その向こうはるか上空に稲含山の頂が見えます。太古の人は、稲含山から稲妻が光るのを見て、その雷光が稲を成育させる神、すなわち稲妻として信仰してきました。掲句は、正津氏の女性に対する信仰が如実に戯画化されています。稲妻は、自然界のそれとも、人間界(女性)のそれともとれます。天の轟き、女の怒り。しかも、女は笑っている。ところで、怒りながら笑うことってあり得るだろうか。笑いには、愉快、痛快といった快の発露もあるけれど、嘲笑や冷笑といった不快を示唆する場合もあります。掲句の女は、むしろ、哄笑や高笑いの類で勝利宣言ととれます。女の感情は、上五では怒りの稲妻だが、「や」で切ることで、時間も切れ、感情も切り替わります。この時点で、既に男は土下座している。怒りを発散して、高ぶった気持ちからただ土下座する男を見て、女はニヤリと笑う。この優位は動かない。怒りでこわばっていた頬は、優越感からしだいにゆるみます。やがて、女には、男を許す感情が芽生え始めるのではないでしょうか。ズタズタに傷ついたスネを隠し、ただひたすら土下座する男を見下して、女は観音様に近づいていく。数々の女性問題を穏便に解決してきた正津勉の秘技土下座。他に「春寒や別れ告げられ頬打たれ」。自身を低めて女を立てる。見習いたい。『ににん』(2015秋号)所載。(小笠原高志)


October 10102015

 人の灯を離れて神の月となり

                           内原弘美

もいよいよ細くなり本日の月の出は午前三時過ぎだが、今年は佳い月が楽しめた。ことに満月、自宅ベランダから見ていると、新宿のビル群とその先の東京タワーの間に見え始めてからしばらくの間妖しいほどに赤かった。〈ビルにぶつかりながら月昇りけり〉(内原弘美)。ゆらりゆらりと街の灯を脱ぎ捨てながら昇ってゆく月は、濃い闇の中で次第に強く白く、孤高の存在となっていった。地上にゆらめく灯はそこに生きとし生けるものと共に存在し、天心に輝く月は変わらず神々しい光を放ち続ける。人の灯、神の月、短い一句の中にある確かな表現が大きい景を生み、人と月との長く親しい関係をも思わせる。掲出句はいずれも『花鳥諷詠』(2015年10月号)所載。(今井肖子)


October 09102015

 色鳥やおざぶごと母ひつぱつて

                           山本あかね

になると色々な小鳥が渡って来る。庭木も疎らになって枝々の輪郭が露わである。あら今日はこんな鳥が庭先にと、出入りする様々に色付いた小鳥たちの観察も楽しい。こんな小鳥たちが色鳥と言はれる。居間には何時もの様に母がお茶を飲んでいる。近頃は置物の様にちゃぶ台の指定席には母が鎮座している。あら、尉鶲かしら、もうちょっと縁に寄れば母にも見える。つと衝動的に見せたい!と座布団ごと母を縁側に引きずった。背負わずとも母は軽かった。秋の空は底なしに青く明るい。他にも<たくあんをこまかくきざみ大文字><年忘いづれはみんな死ぬる顔><いもうとに薄荷パイプの赤を買ふ>と鋭く日常を切り取る。『あかね』(1995)所収。(藤嶋 務)




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