-北海道の風水害。これ以上、被害が広まりませんように。(哲




2015ソスN10ソスソス9ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 09102015

 色鳥やおざぶごと母ひつぱつて

                           山本あかね

になると色々な小鳥が渡って来る。庭木も疎らになって枝々の輪郭が露わである。あら今日はこんな鳥が庭先にと、出入りする様々に色付いた小鳥たちの観察も楽しい。こんな小鳥たちが色鳥と言はれる。居間には何時もの様に母がお茶を飲んでいる。近頃は置物の様にちゃぶ台の指定席には母が鎮座している。あら、尉鶲かしら、もうちょっと縁に寄れば母にも見える。つと衝動的に見せたい!と座布団ごと母を縁側に引きずった。背負わずとも母は軽かった。秋の空は底なしに青く明るい。他にも<たくあんをこまかくきざみ大文字><年忘いづれはみんな死ぬる顔><いもうとに薄荷パイプの赤を買ふ>と鋭く日常を切り取る。『あかね』(1995)所収。(藤嶋 務)


October 08102015

 コスモスや死ぬには丁度いい天気

                           仲 寒蟬

川の昭和公園のコスモス、小金井公園のコスモス。毎年見ごろになると見に出かける。秋晴れの丘陵にコスモスが咲く様子はとても気持ちがいい。腰が弱くてひょろひょろしていて、それでいて群れて咲くとどんどん広がってゆく。町中ではプランターや花壇で育てるより空き地や駅の塀など路傍に咲いているのが似合いの花だ。明らかに澄み切った秋の昼にコスモスが咲いて、ほんとうに死ぬには丁度良さそうだ。私もじめじめ雨が降る夜に死ぬより、とびきり天気が良くてコスモスが見ごろのころがいい。歳時記でコスモスの項目を見ると飯田龍太が「やや古めかしいモダニズムといった感じの花である」と解説をしていたが、そのニュアンスのコスモスに掲載句の措辞はぴったりに思える。掲載句のようにあっけらかんと明るく死ねるのは願望なのだけど、現実ははて、どうだろう。『巨石文明』(2014)所収。(三宅やよい)


October 07102015

 旧道にきつねのかみそり廃屋も

                           永瀬清子

きつねのかみそり」(狐の剃刀)とは、素晴らしいネーミングではないか。調べてみると、ヒガンバナ科の多年草で有毒植物である。「おおきつねのかみそり」とか「むじなのかみそり」という呼び方もあるそうだ。別名は「リコリス」、ギリシア神話で、海の女神を意味する。おそらく山間地の人通りの少ない旧道に、この有毒植物は美しくシャープな花をそっと咲かせているのだろう。そのあたりには廃屋が何軒か残っている。鄙びた風景のなかで清子は「きつね……」に目を奪われたのだろう。ネーミングに鋭利な緊張感があり、「たぬきの……」ではしまらない。なぜ「きつねのかみそり」と呼ばれるのか、正確な理由を私は知らない。「きつね」のように「かみそり」のように、鋭く尖っている花弁の様子に由来しているように思われる。狐が棲んでいるような山間地に、わびしくひっそり凛として咲いている花のようだ。(インターネットで写真をご確認ください。)そう言えば、「きつねあざみ」(狐薊)というキク科のあざみの一種もある。永瀬清子に俳句があったとは、寡聞にして知らなかった。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)




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