TPP大筋合意。これで小さな農家などはたちゆかなくなりそう。(哲




2015ソスN10ソスソス7ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 07102015

 旧道にきつねのかみそり廃屋も

                           永瀬清子

きつねのかみそり」(狐の剃刀)とは、素晴らしいネーミングではないか。調べてみると、ヒガンバナ科の多年草で有毒植物である。「おおきつねのかみそり」とか「むじなのかみそり」という呼び方もあるそうだ。別名は「リコリス」、ギリシア神話で、海の女神を意味する。おそらく山間地の人通りの少ない旧道に、この有毒植物は美しくシャープな花をそっと咲かせているのだろう。そのあたりには廃屋が何軒か残っている。鄙びた風景のなかで清子は「きつね……」に目を奪われたのだろう。ネーミングに鋭利な緊張感があり、「たぬきの……」ではしまらない。なぜ「きつねのかみそり」と呼ばれるのか、正確な理由を私は知らない。「きつね」のように「かみそり」のように、鋭く尖っている花弁の様子に由来しているように思われる。狐が棲んでいるような山間地に、わびしくひっそり凛として咲いている花のようだ。(インターネットで写真をご確認ください。)そう言えば、「きつねあざみ」(狐薊)というキク科のあざみの一種もある。永瀬清子に俳句があったとは、寡聞にして知らなかった。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


October 06102015

 太綱の垂るる産小屋そぞろ寒

                           鈴木豊子

小屋とは出産をするための施設。掲句は前書きに「色の浜」とあるため、福井県敦賀市色浜の海岸近くにあった産小屋を訪ねての作品である。産小屋は、出産を不浄とみなす観念から発生した風習であった。現在でも小屋には土間と畳の間が復元され、備品も若干残されていることから当時の姿を垣間見ることができる。いよいよ産気づいた妊婦は梁からおろされた太綱にすがり、出産を迎える。出産前後一ヶ月ほどを過ごす簡素な小屋はいかにも寒々しく、心細い。しかし、「古事記」の豊玉姫の昔から、女は海辺の小屋で子を生んできたのだ。万象の母である海に寄り沿うように、生むことのできる安らぎに思いを馳せる。耳を傾ければ波の音が母と子を強くはげますように寄せては返す。〈里芋を掘り散らかしてぬかるみて〉〈一括りして筍に走り書き〉『関守石』(2015)所収。(土肥あき子)


October 05102015

 洪水のあとに色なき茄子かな

                           夏目漱石

年は自然災害が多い。それも考えも及ばない大きな被害をもたらしてくる。直接に被害を受けない地域で暮している私などは、災害のニュースに接するたびに、痛ましいとは思うけれども、他方で「ああ、またか」のうんざり感も持ってしまう。漱石の時代にどの程度の洪水があったのかは知らないが、私の農家体験から言うと、洪水の後の名状し難い落胆の心がよく表現されている。せっかく育てた茄子の哀れな姿。実はこの句はそうした情況スケッチではなくて、大病のあとの自分自身の比喩的な自画像だと言う。現代の文人であれば、このあたりをどう詠むだろうか。『漱石俳句集』(1990・岩波文庫)所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます