明るくなってくるとヤマバトが鳴く。そぞろ郷愁を誘われる。(哲




2015ソスN10ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 06102015

 太綱の垂るる産小屋そぞろ寒

                           鈴木豊子

小屋とは出産をするための施設。掲句は前書きに「色の浜」とあるため、福井県敦賀市色浜の海岸近くにあった産小屋を訪ねての作品である。産小屋は、出産を不浄とみなす観念から発生した風習であった。現在でも小屋には土間と畳の間が復元され、備品も若干残されていることから当時の姿を垣間見ることができる。いよいよ産気づいた妊婦は梁からおろされた太綱にすがり、出産を迎える。出産前後一ヶ月ほどを過ごす簡素な小屋はいかにも寒々しく、心細い。しかし、「古事記」の豊玉姫の昔から、女は海辺の小屋で子を生んできたのだ。万象の母である海に寄り沿うように、生むことのできる安らぎに思いを馳せる。耳を傾ければ波の音が母と子を強くはげますように寄せては返す。〈里芋を掘り散らかしてぬかるみて〉〈一括りして筍に走り書き〉『関守石』(2015)所収。(土肥あき子)


October 05102015

 洪水のあとに色なき茄子かな

                           夏目漱石

年は自然災害が多い。それも考えも及ばない大きな被害をもたらしてくる。直接に被害を受けない地域で暮している私などは、災害のニュースに接するたびに、痛ましいとは思うけれども、他方で「ああ、またか」のうんざり感も持ってしまう。漱石の時代にどの程度の洪水があったのかは知らないが、私の農家体験から言うと、洪水の後の名状し難い落胆の心がよく表現されている。せっかく育てた茄子の哀れな姿。実はこの句はそうした情況スケッチではなくて、大病のあとの自分自身の比喩的な自画像だと言う。現代の文人であれば、このあたりをどう詠むだろうか。『漱石俳句集』(1990・岩波文庫)所収。(清水哲男)


October 04102015

 学生寮誰か秋刀魚を焼いている

                           ふじおかはつお

月22日、午後12時30分前。車を運転しながら、NHK第一放送を聞いていた時に、読まれた句です。お昼のニュースの後にのどかな音楽が始まって、各地の土地と暮らしの様子をアナウンサーが語る「昼の憩い」という10分の番組で、終わりには一句または一首が読まれます。もう、何十年も続いている番組なので、耳にしたことのある方は多いでしょう。農作業の畑の畦(あぜ)で、お弁当を食べながら聞くリスナーも少なくないようです。ラジオから掲句を聞いて、懐かしい気持ちが秋刀魚の匂いとともに届きました。この学生寮は、たぶん、1960年代くらい。まだ、旧制高校の寮歌がうたい継がれ、「デカンショ節」どおりの蛮カラな生活の中で、人生と哲学を語り合って教養を 熟成する場が学生寮でした 。高度経済成長が始まったとはいえ、日本はまだ貧しく、学生たちは、いつも腹を減らしていました。その時、寮のどこからか、煙とともに秋刀魚を焼く油の香ばしい匂いがたちこめてきます。寮生たちの嗅覚は犬猫なみですから、本を読んでいた者、洗濯していた者、将棋を指していた者、昼寝をしていた者それぞれが立ちあがり、ゾロゾロ匂いの元に向かいます。さて、寮の庭の隅で隠れるように七輪で焼かれていた秋刀魚一匹は、無事、焼き手の口にだけ納まったのか。それとも、箸を手にして七輪を取り囲む猛者たちに分け与えられたのか。50年前の秋、北大の恵迪(けいてき)寮や京大、吉田寮の実景でしょう。(小笠原高志)




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