2015N104句(前日までの二句を含む)

October 04102015

 学生寮誰か秋刀魚を焼いている

                           ふじおかはつお

月22日、午後12時30分前。車を運転しながら、NHK第一放送を聞いていた時に、読まれた句です。お昼のニュースの後にのどかな音楽が始まって、各地の土地と暮らしの様子をアナウンサーが語る「昼の憩い」という10分の番組で、終わりには一句または一首が読まれます。もう、何十年も続いている番組なので、耳にしたことのある方は多いでしょう。農作業の畑の畦(あぜ)で、お弁当を食べながら聞くリスナーも少なくないようです。ラジオから掲句を聞いて、懐かしい気持ちが秋刀魚の匂いとともに届きました。この学生寮は、たぶん、1960年代くらい。まだ、旧制高校の寮歌がうたい継がれ、「デカンショ節」どおりの蛮カラな生活の中で、人生と哲学を語り合って教養を 熟成する場が学生寮でした 。高度経済成長が始まったとはいえ、日本はまだ貧しく、学生たちは、いつも腹を減らしていました。その時、寮のどこからか、煙とともに秋刀魚を焼く油の香ばしい匂いがたちこめてきます。寮生たちの嗅覚は犬猫なみですから、本を読んでいた者、洗濯していた者、将棋を指していた者、昼寝をしていた者それぞれが立ちあがり、ゾロゾロ匂いの元に向かいます。さて、寮の庭の隅で隠れるように七輪で焼かれていた秋刀魚一匹は、無事、焼き手の口にだけ納まったのか。それとも、箸を手にして七輪を取り囲む猛者たちに分け与えられたのか。50年前の秋、北大の恵迪(けいてき)寮や京大、吉田寮の実景でしょう。(小笠原高志)


October 03102015

 今何をせむと立ちしか小鳥くる

                           ふけとしこ

ビングのテーブルに座っていて、ちょっとした用事を思いついてキッチンへ向かった時、庭の木の実を啄んでいるきれいな色の小鳥に目が留まる。しばらく見ているがそのうち、ここに立っているのは小鳥を見るためじゃなかったはず、と気づくがさて何だったか。最初はそんな風に思ったのだがだんだん違う気がしてきた。例えば、何かしようとして立ち上がり、ちょっと他のことに気を取られているうちに、待てよそもそも何が目的だったのかやれやれ、としばし立ち止まって考えている作者。その時、小鳥の声が聞こえたかちらりと姿が見えたのか、秋が深まってきたことを感じながらふと和らいだ心地がしたのではないか。そんなやさしさのにじむ、くる、なのだろう。「ほたる通信 II」(2015年9月号)所載。(今井肖子)


October 02102015

 稲雀いつもその地の明るさに

                           高橋豊三

雀(いなすずめ)は秋の稲田に飛来してくる雀のこと。稲が実る頃群れをなして啄みにやってくるので農家にとっては頭痛の種となる。空は秋晴れで風になびく黄金の稲穂が眩しい。飽食の時を得て喜びに満ちて雀の群れが飛廻っている。そう言えば案山子や鳴子に反射テープや巨大な目玉のボールにと農家工夫の力作も見物である。一年の計り知れない労働やそうした工夫を思う事無く、いつものように雀がピーチクチュンチュク底ぬけに明るく騒ぎまくっている。黄金の稲穂の眩しさの傍らで明るく唄う稲雀。腕組んで佇む農夫もその明るい大地の風景を前に無事な収穫を確信しつつも祈っている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)




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