ヤクルト・スワローズ14年ぶりのリーグ優勝。おめでとう。(哲




2015ソスN10ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 03102015

 今何をせむと立ちしか小鳥くる

                           ふけとしこ

ビングのテーブルに座っていて、ちょっとした用事を思いついてキッチンへ向かった時、庭の木の実を啄んでいるきれいな色の小鳥に目が留まる。しばらく見ているがそのうち、ここに立っているのは小鳥を見るためじゃなかったはず、と気づくがさて何だったか。最初はそんな風に思ったのだがだんだん違う気がしてきた。例えば、何かしようとして立ち上がり、ちょっと他のことに気を取られているうちに、待てよそもそも何が目的だったのかやれやれ、としばし立ち止まって考えている作者。その時、小鳥の声が聞こえたかちらりと姿が見えたのか、秋が深まってきたことを感じながらふと和らいだ心地がしたのではないか。そんなやさしさのにじむ、くる、なのだろう。「ほたる通信 II」(2015年9月号)所載。(今井肖子)


October 02102015

 稲雀いつもその地の明るさに

                           高橋豊三

雀(いなすずめ)は秋の稲田に飛来してくる雀のこと。稲が実る頃群れをなして啄みにやってくるので農家にとっては頭痛の種となる。空は秋晴れで風になびく黄金の稲穂が眩しい。飽食の時を得て喜びに満ちて雀の群れが飛廻っている。そう言えば案山子や鳴子に反射テープや巨大な目玉のボールにと農家工夫の力作も見物である。一年の計り知れない労働やそうした工夫を思う事無く、いつものように雀がピーチクチュンチュク底ぬけに明るく騒ぎまくっている。黄金の稲穂の眩しさの傍らで明るく唄う稲雀。腕組んで佇む農夫もその明るい大地の風景を前に無事な収穫を確信しつつも祈っている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


October 01102015

 十五夜の山ぞろぞろと歩きだす

                           酒井弘司

年の十五夜は九月二十七日だった。毎月必ずめぐってくる満月だが、中秋の名月は、やはり特別な月に思える。マンション暮らしで縁先もなく、まわりに野山もないので薄を飾ることもないけれど十五夜と思えばまず月の出る方向を探して狭いベランダをうろうろする。十五夜の月はきっと普段の月よりあらゆるものを引き付ける力が強いのだろう。いろいろな不思議が起こりそうな気がする。掲句は十五夜の山、でいったん切れ「ぞろぞろと歩き出す」の主体は山ではなく人間たちだろうが、十五夜の月の光に照らし出されて連なっている山々ににょきにょき足が生えて、歩きだすと考えてもおかしくはない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)




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