シリア内紛なども、結局は米ソ代理戦争だ。悲しくなる。(哲




2015ソスN10ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 02102015

 稲雀いつもその地の明るさに

                           高橋豊三

雀(いなすずめ)は秋の稲田に飛来してくる雀のこと。稲が実る頃群れをなして啄みにやってくるので農家にとっては頭痛の種となる。空は秋晴れで風になびく黄金の稲穂が眩しい。飽食の時を得て喜びに満ちて雀の群れが飛廻っている。そう言えば案山子や鳴子に反射テープや巨大な目玉のボールにと農家工夫の力作も見物である。一年の計り知れない労働やそうした工夫を思う事無く、いつものように雀がピーチクチュンチュク底ぬけに明るく騒ぎまくっている。黄金の稲穂の眩しさの傍らで明るく唄う稲雀。腕組んで佇む農夫もその明るい大地の風景を前に無事な収穫を確信しつつも祈っている。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣)所載。(藤嶋 務)


October 01102015

 十五夜の山ぞろぞろと歩きだす

                           酒井弘司

年の十五夜は九月二十七日だった。毎月必ずめぐってくる満月だが、中秋の名月は、やはり特別な月に思える。マンション暮らしで縁先もなく、まわりに野山もないので薄を飾ることもないけれど十五夜と思えばまず月の出る方向を探して狭いベランダをうろうろする。十五夜の月はきっと普段の月よりあらゆるものを引き付ける力が強いのだろう。いろいろな不思議が起こりそうな気がする。掲句は十五夜の山、でいったん切れ「ぞろぞろと歩き出す」の主体は山ではなく人間たちだろうが、十五夜の月の光に照らし出されて連なっている山々ににょきにょき足が生えて、歩きだすと考えてもおかしくはない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)


September 3092015

 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉

                           永井荷風

月も今日で終りである。「蚊帳」は夏の季語だが、ここでは「九月哉」で秋。かつて下町では蚊が特に多いから、九月になってもまだ蚊帳を吊っていたのだろう。今はもう蚊帳というものは、下町でも見られなくなったのではないか。私などはいなかで子どものころ、夏は毎晩寝部屋の蚊帳吊りをさせられたっけ。木綿の重たい蚊帳だった。掲出句は荷風の「濹東綺譚」のなかに八句あげられている蚊の句のうちの一句。他に「残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ」がならぶ。「溝(どぶ)の蚊の唸る声は今日に在つても隅田川を東に渡つて行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌つてゐる」と書いて、八句が「旧作」として掲げられている。ここでの「場末の町」は寺島町をさしている。「家中にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込まうとする」とも書かれている。「わめく蚊の群」は、すさまじい。「むすびむすびて」だから、蚊帳の破れは一つだけではなく幾つもあるのだ。そんな破れ蚊帳で今年の夏は過ごしたことよ。ーーそんな町があり、時代があった。『現代日本文學大系24・永井荷風集(二)』(1971)所載。(八木忠栄)




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