十月になりました。今年2015年も、あと百日を切りましたね。(哲




2015ソスN10ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 01102015

 十五夜の山ぞろぞろと歩きだす

                           酒井弘司

年の十五夜は九月二十七日だった。毎月必ずめぐってくる満月だが、中秋の名月は、やはり特別な月に思える。マンション暮らしで縁先もなく、まわりに野山もないので薄を飾ることもないけれど十五夜と思えばまず月の出る方向を探して狭いベランダをうろうろする。十五夜の月はきっと普段の月よりあらゆるものを引き付ける力が強いのだろう。いろいろな不思議が起こりそうな気がする。掲句は十五夜の山、でいったん切れ「ぞろぞろと歩き出す」の主体は山ではなく人間たちだろうが、十五夜の月の光に照らし出されて連なっている山々ににょきにょき足が生えて、歩きだすと考えてもおかしくはない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)


September 3092015

 蚊帳の穴むすびむすびて九月哉

                           永井荷風

月も今日で終りである。「蚊帳」は夏の季語だが、ここでは「九月哉」で秋。かつて下町では蚊が特に多いから、九月になってもまだ蚊帳を吊っていたのだろう。今はもう蚊帳というものは、下町でも見られなくなったのではないか。私などはいなかで子どものころ、夏は毎晩寝部屋の蚊帳吊りをさせられたっけ。木綿の重たい蚊帳だった。掲出句は荷風の「濹東綺譚」のなかに八句あげられている蚊の句のうちの一句。他に「残る蚊をかぞへる壁や雨のしみ」がならぶ。「溝(どぶ)の蚊の唸る声は今日に在つても隅田川を東に渡つて行けば、どうやら三十年前のむかしと変りなく、場末の町のわびしさを歌つてゐる」と書いて、八句が「旧作」として掲げられている。ここでの「場末の町」は寺島町をさしている。「家中にわめく蚊の群は顔を刺すのみならず、口の中へも飛込まうとする」とも書かれている。「わめく蚊の群」は、すさまじい。「むすびむすびて」だから、蚊帳の破れは一つだけではなく幾つもあるのだ。そんな破れ蚊帳で今年の夏は過ごしたことよ。ーーそんな町があり、時代があった。『現代日本文學大系24・永井荷風集(二)』(1971)所載。(八木忠栄)


September 2992015

 この椅子にさっき迄居た穴惑い

                           西村亜紀子

き嫌いの差こそあれ、蛇ほど強い印象を与える生きものはいないだろう。穴惑いとは、春の彼岸に出、秋の彼岸に入るといわれる蛇が彼岸を過ぎてもまだうろうろと地上に姿を見せている様子。掲句は「さっき迄」というが、その姿はありありと作者の目に焼き付いている。と、まだこの辺にいるのではないかという恐怖が作者を動揺させているが、いないものは、いるものより怖い。椅子の上に刻印された蛇の輪郭はいつまでも煌煌と光りを発している。同著は船団所属同世代女性三人の合同句集。北村恭久子〈ちゃんちゃんこいつもどこかがほころびて〉、室展子〈システムのかすかな軋み星流る〉など三者三様の個性が光る。あ、今ようやく書名の理由に気がついた。『三光鳥』(2015)所収。(土肥あき子)




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