そういえば「敬老会」の招待状が来ていたなあ。やれやれ。(哲




2015ソスN9ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 2192015

 鳥渡とは鳥渡る間や昼の酒

                           矢島渚男

句には「鳥渡」に「ちよつと」と振り仮名がつけてある。「鳥渡」も、いまや難読漢字なのだろう。私の世代くらいまでなら、むしろこの字を読める人のほうが多いかもしれない。というのも「鳥渡」は昔の時代小説や講談本に頻出していたからである。「鳥渡、顔貸してくんねえか」、「鳥渡、そこまで」等々。「鳥」(ちょう)と「渡」(と)で「ちょっと」に当てた文字だ。同じく「一寸」も当て字だけれど、「鳥渡」はニュアンス的には古い口語の「ちょいと」に近い感じがする。それはともかく、この当て字を逆手にとって、作者はその意味を「鳥渡る間のこと」として、「ちょっと」をずいぶん長い時間に解釈してみせた。むろん冗談みたいなものなのだが、なかなかに風流で面白い。何かの会合の流れだろうか。まだ日は高いのだが、何人かで「ちょっと一杯」ということになった。酒好きの方ならおわかりだろうが、この「ちょっと」が実に曲者なのだ。最初はほんの少しだけと思い決めて飲み始めるのだけれど、そのうちに「ちょっと」がちつとも「ちょっと」ではなくなってくる。そんなときだったろう。作者は誰に言うとなく、「いや、『鳥渡』は鳥渡る間のことなんだから、これでいいのさ」と当意即妙な解釈を披露してみせたのである。長い昼酒の言い訳にはぴったりだ。これは使える(笑)。『百済野』所収。(清水哲男)


September 2092015

 しんじつの草の根沈み蛇は穴へ

                           金子兜太

の彼岸の頃に蛇は穴を出る。秋の彼岸の頃に蛇は穴に入る。季語の上ではこのような習わしになっていますが、蛇が冬眠の準備を始めるのはもう少し先のことです。掲句は、『詩経國風』(1985)所収。「あとがき」によると、『詩経』は、孔子によって編まれた極東最古の詩集で、その中で「風」に分類された詩編は、恋を歌い、農事を歌い、暮らしの苦しさを訴え、為政者への反省をうながす歌謡です。ところで、小林一茶は41歳のとき、一年がかりで孔子の『詩経國風』と睨めっこをしながら俳句を作り俳諧 修行をしました。当代随一の一茶信奉者である金子兜太は、一茶の句を理解するためには原典を読まないわけにはいかないと考え、「読むほどにミイラ取りがミイラになってしまったのである。(略)古代中国の歌のことばをしゃぶりながら、私は歌の背後の現実と人々の哀歓愛憎にまで感応してゆき、俳句にことばを移しつつ同時にその感応を書き取ろうとした」とあります。句集は「麒麟の脚のごとき恵みよ夏の人」から始まり、所々に『詩経』の言葉が織り交ざる句が連なりますが、掲句は句集の終わりから二番目の位置です。この句は、孔子と一茶へのオマージュのようでもあり、あとがきでは自身を「盲蛇」に喩えているので『詩経』に対峙した自画像のようにも読みとれます。「しんじつ」とは、真の実 です。それは、言の葉から花が咲き、結実することです。そのためには、草の根を沈めて、盲蛇のような自分は『詩経』の穴の中に沈んで、沈潜して、ようやく真の実りを得られるのかもしれません。そんな寓意を読みとりました。(小笠原高志)


September 1992015

 頬ぺたに當てなどすなり赤い柿

                           小林一茶

規忌日ということで歳時記を見ていたら、子規の好物であった柿の項に掲出句があった。赤く熟した柿を手にとって頬に当てる、という仕草は一茶と似合っているようないないような、と思ったら前書きに「夢にさと女を見て」とある。さとは一茶と最初の妻との間に生まれた長女だが生後四百日で亡くなっている。夢の中でさとがその頬ぺたに赤い柿を当てたりしている、と読むのもかわいらしいが、この、頬ぺた、は作者自身の、頬の辺り、という気がする。たった一歳で別れた我が娘、思い出すのはいつもただ泣きただ笑うその顔の特に丸くて赤い頬であり、夢に出てきた我が娘の頬の赤が目覚めてからも眼裏にはっきり浮かんでいたのだ。ちょうど熟した柿が生っていたのか置かれていたのか、赤い柿を手に取って思わずそっと頬に当ててみるが、柿はその色とは裏腹にひんやりと固かったに違いない。それでも愛おしむ様にしばらく柿を手に夢の余韻の中にいた作者だったのではないだろうか。『新歳時記 虚子編』(1951・三省堂)所載。(今井肖子)




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