昨日はページが更新去れていませんでした。失礼しました。(哲




2015ソスN9ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1592015

 ブロンズの少女が弾く木の実かな

                           山本 菫

ず、誰もが木蔭に置かれたブロンズ像を想像する。容赦ない夏の日差しから葉を茂らせ、ブロンズ像の少女を守ってきた大きな木。季節はめぐり、思いを告げるように梢はポツリポツリと木の実をこぼす。固いブロンズにぶつかっては転がっていく木の実が、冷たく思いをはねつけているようにも見えるだろうか。それとも、あどけない少女がどれほど手を差し出して受け止めたいと、ブロンズの身を嘆いていると見るだろうか。たったひとコマの描写のなかに、静があり、動がある。物語が凝縮された作品を前に思いを巡らせ、結末をひもとく幸福な時間もまた、俳句の楽しみのひとつである。〈向日葵を切つて真昼を手中にす〉〈遠雷や柩にこの世覗く窓〉『花果』(2015)所収。(土肥あき子)


September 1492015

 山頂の櫨の紅葉を火のはじめ

                           矢島渚男

の間は灼熱の太陽に焼かれ、生気を失ったような山肌も、秋風とともに瑞々しさを取り戻して来る。とりわけて風の道となる頂上付近では、いちはやく秋の植物たちの活動が活発化する。櫨(はぜ)の紅葉も九月には見られる。私の田舎でも、そろそろ色づきはじめる頃で、子供のころには風流心のかけらもなかった私にも、櫨の紅葉は燃えるようで目に沁みるかと思われた。その紅葉を、作者は「火のはじめ」と決然と言いきっている。「火のはじめ」とは、全山紅葉のさきがけとも読めるし、他方ではやがて長くて寒い季節に入る山国の、冬用意のための「火」のはじめだとも読める。むろん、作者はその両者を意識の裡に置いているのだ。櫨の紅葉は燃えるような色彩で、誰が見ても美しいと思うはずだが、その様子を一歩進めて、山国の生活のなかに生かそうとした鋭い目配りには唸らされてしまう。と言おうか、紅葉した櫨を見て、作者は観念的に何かをこねくりまわそうなどとは露思わず、まことに気持ちがよいほどの率直さで、心情を吐露してみせている。『采微』所収。(清水哲男)


September 1392015

 あやまちはくりかへします秋の暮

                           三橋敏雄

りは、謝れば許してくれます。しかし、過ちは、そうはいきません。昭和59年(1984)の作です。前年末に第二次中曽根内閣が組閣された時代です。この内閣は、8月15日に全閣僚が靖国神社を参拝し、また、第三次中曽根内閣では防衛費1%枠を撤廃しました。作者は、このような右傾化の時代状況を深く憂慮していたものと思われます。それは、句集で掲句の直前に「戦前の一本道が現るる」があるからです。作者は戦後しばらく、戦没遺骨を収集しそれを輸送する任務を遂行しました。察するに、戦前の悲惨を骨身にしみ込ませているはずです。「永遠に兄貴は戦死おとうとも」。これらを踏まえて掲句を読むと、作者の意志は、対句である「戦前の一本道が現るる」とともに逆説にあります。そして、これらの句は、現内閣に対しても突きつけられうる警句といえるでしょう。他に「冬の芽の先先国家秘密法」。『畳の上』(1988)所収。(小笠原高志)




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