日替わりの災害情報。昨日は地震だったが…。(哲2




2015ソスN9ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 1392015

 あやまちはくりかへします秋の暮

                           三橋敏雄

りは、謝れば許してくれます。しかし、過ちは、そうはいきません。昭和59年(1984)の作です。前年末に第二次中曽根内閣が組閣された時代です。この内閣は、8月15日に全閣僚が靖国神社を参拝し、また、第三次中曽根内閣では防衛費1%枠を撤廃しました。作者は、このような右傾化の時代状況を深く憂慮していたものと思われます。それは、句集で掲句の直前に「戦前の一本道が現るる」があるからです。作者は戦後しばらく、戦没遺骨を収集しそれを輸送する任務を遂行しました。察するに、戦前の悲惨を骨身にしみ込ませているはずです。「永遠に兄貴は戦死おとうとも」。これらを踏まえて掲句を読むと、作者の意志は、対句である「戦前の一本道が現るる」とともに逆説にあります。そして、これらの句は、現内閣に対しても突きつけられうる警句といえるでしょう。他に「冬の芽の先先国家秘密法」。『畳の上』(1988)所収。(小笠原高志)


September 1292015

 芋虫に芋の力のみなぎりて

                           杉山久子

虫といえば丸々と太っているのが特徴だ。手元の歳時記を見ても〈芋虫の一夜の育ち恐ろしき〉(高野素十)〈   芋虫の何憚らず太りたる〉(右城暮石)、そしてあげくに〈   命かけて芋虫憎む女かな〉(高浜虚子)。なにもそこまで嫌がらずともと思うが。しかしこの句を読んであらためて、元来「芋虫」はイモの葉を食べて育つ蛾の幼虫のことだったのだと認識した。大切なイモの葉を食い荒らす害虫として見れば太っていることは忌々しいわけだが、ひとつの生き物、それも育ち盛りの子供としてみれば、まさに生きる力がみなぎっているのだ。芋の力、の一語には文字通りの力と、どこか力の抜けた明るいおもしろさがあって数少ないポジティブな芋虫句となっている。「クプラス」(2015年・第2号)所載。(今井肖子)


September 1192015

 鳩吹けばふる里歩み来るごとし

                           今村征一

吹くは両手を合わせた間に息を吹き、ハトの鳴き声を出すこと。猟師がシカを呼んだり武士や忍者が仲間の合図に用いたりした。子供たちも成長過程で吹けることを自慢しあったものである。吹けなかった私はずいぶん悔しい思いもした。そう言えば指笛も未だに吹けない。級長だったがその事で餓鬼大将にはなれなかったのである。吹ける連中でも図太く吹けるとか音がか細いとか些細な事が自慢と落胆の原因を作った。今久々に鳩を吹いてみるとあのふる里のあの頃の記憶がどっと甦ってくる。あの頃へ戻りたいけどもう戻れない。押し寄せる想い出は甘くて切ない。他に<定かなる記憶終戦日の正午><野の風を摘んで束ねて秋彼岸><干柿のやうな齢となりにけり>などなど氏の句が多数所載されている。『朝日俳壇2013』(2013)。(藤嶋 務)




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