ばか笑いだけでもっているNHKラジオ番組はやめてくれ。(哲




2015ソスN9ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

September 0692015

 名月やマクドナルドのMの上

                           小沢麻結

れ字が効いています。それは、遠景と近景を切る効果です。また、月光と人工光を切り離す効果もあります。句の中に二つの光源を置くことで、「名月」も「M」も、デジタルカメラで撮ったように鮮明かつ双方にピントが合った印象を与えています。視覚的にはフラットなイメージを受けますが、名月を詠むからには、自ずと先人たちの句を踏まえることになるでしょう。名月を入れた二物を詠む場合、先人たちは山や雲や樹や水面など、自然物と取り合わせる詠み方がふつうでした。例えば、其角に「名月や畳の上に松の影」があります。これも、切れ字によって空間を切り分けていますが、掲句と違う点は、光源が名月だけである点と、時の経過と風の有無によって「松の影」が移ろう点です。これに対して、「マクドナルドのM」は停電しないかぎり変化しません。それは、都市の記号として赤い電光を放ち続け、街々に点在しています。ところで、句集には「月探す表参道交差点」があります。これをふまえて掲句を読むと、「名月」は、あらかじめ作者の心の中に存在していただろうと思われます。その心象が現実を引き寄せて、都市の記号M上に、確かに出現しました。それは、Meigetsuと呼応しています。『雪螢』(2008)所収。(小笠原高志)


September 0592015

 星月夜縄文土器にある指紋

                           矢野玲奈

供の頃屋根の上に寝転がっていつまでも星を見ていた夜、当時言葉は知らなかったがまさにあれが星月夜だった。星は、自分で輝いているもの、そうでないもの、今生きているもの、とっくに消えてしまったもの、とさまざまでありそんな夜は、無数に散りばめられた星という光の不思議な力に満ちていた。月への親しさとは異なり星には、ことに満天の星空には憧れや畏れや様々な感情が湧きおこる。隈なく照らしているようでいて幻想的な星明りのもとにある縄文土器を想像してみると、数千年かそれ以上前のヒトの指の跡がそこにあるという明瞭な真実に、時間というどこか不確かなものが見え隠れして星空への不安と呼応する。そんな美しいだけではない独特の星月夜の詩情がある一句だ。『森を離れて』(2015)所収。(今井肖子)


September 0492015

 早ミサへ急げば鵙の高鳴けり

                           景山筍吉

虔なクリスチャンのある日の一こま。一日世に塗れれば一日教えに背いた反省が募る。昨夜悶々と悩んだ身の汚れを一刻も早く払拭せんと早朝ミサへと急ぐ。ご自身の何人かの娘さんも全員も修院へ送ることとなる。神へ捧げた娘達へ、嫁がせて子を為すという幸せを捨てさせたのではないか。心臓の鼓動の高鳴りに呼応して鵙が耳をつんざく様な鋭い声で鳴いた。彼は中村草田男の奥様にクリスチャンの直子氏を推挙し媒酌を務めた。閑話休題、彼が唯一民間の株式会社の社長をされた時の新入社員が小生であった。「勤め人は毎日会社へ来る事が仕事だよ」「運転手君、暑いから日陰を通って呉れたまえ」の語録が記憶に残っている。筍吉句<熱燗や性相反し相許す><薔薇に雨使徒聖霊に降臨す><修院へ入る娘と仰ぐ天の川>は教徒としての真摯な日常が滲み出ている。万感の思いを込めて成した著作マリア讃歌にはちゃらちゃらした感傷的な場面はない。その「マリア讃歌」(1937)所収。(藤嶋 務)




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