晴れると暑いし曇ると蒸し暑い。結局は、あつーいっ。(哲




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August 1982015

 一寸一寸帯解いてゆく梨の皮

                           加藤 武

かな秋の夜だろうか。皮をむくかすかな音だけを残して、初秋の味覚梨の実が裸にされてゆく。一寸(ちょっと)ずつ帯を解くごとくむかれてゆく、それを追うまなざしがやさしくもあやしい。それは梨の皮をむくことで、白くてみずみずしい実があらわになってゆく実景かもしれないし、あるいは“別の実景”なのかもしれない。皮が途中で切れることなく器用に連続してむかれてゆく果物の皮、いつもジッと見とれずにはいられない。それが実際に梨の実であれ、林檎であれ何であれ、その実はおいしいに決まっている。7月31日にスポーツ・ジムで急逝した加藤武、とても好きな役者だった。映画「釣りバカ日誌」での愛すべき専務役はトボケていて、いつも笑わせてくれたし、金田一耕助シリーズでの「わかった!」と早合点する警部役も忘れがたい。「加藤武 語りの世界」という舞台も時々やっていた。私は見そこなってしまったが、7月19日にお江戸日本橋亭での「語りの世界」が観客を前にした最後の公演となったようだ。残念! 東京やなぎ句会のメンバーも、近年、小沢昭一、桂米朝、入船亭扇橋、そして加藤武が亡くなって寂しくなってきた。武(俳号:阿吽)には、他に「一声を名残に蝉落つ秋暑かな」がある。『楽し句も、苦し句もあり、五七五』(2011)所載。(八木忠栄)


August 1882015

 この山の奥に星月夜はあるわ

                           矢野玲奈

月夜とは星が月夜のごとく照り輝く夜。しかし、掲句には存在しない星空である。それは山の向こうにあるという。見に行こうとする者を誘うような、拒むような妖しい口調に底知れない魅力がある。山の奥の夜空には満天に貼り付くような星が競い輝いているのだろう。この世のものとは思えないほどの美しさは、決して見てはいけないものだと匂わせる。まるで「開けてはいけない」と言われた扉を必ず開いてしまう昔話のように。句集には会社員として働く姿を骨法正しく詠む〈百歩ほど移る辞令や花の雨〉がある一方で、掲句や〈また同じ夢を見たのよ青葉木菟〉のような幻想的な口語調も見られる。時折ふっと夢見心地に招かれるような加減が絶妙で心地よい。『森を離れて』(2015)初収。(土肥あき子)


August 1782015

 ビヤガーデン話題貧しき男等よ

                           吉田耕史

はさまざまだなあ。この句を読んだときに、思わずつぶやいてしまった。作者にはまことに失礼な言い方になるが、ビヤガーデンに何か話題を求めて、「男等」は集うものなのだろうか。たしかにビヤホールでの話は、ろくなものじゃないだろう。でも、そのろくなものじゃない話題が、逆にビールの美味さを盛り上げていくのであって、これがろくなものだったら、そんな話はどこか別の場所でやってくれと言いたくなってしまう。岡本眸に「嘘ばかりつく男らとビール飲む」があるが、そうなのだ、貧しき話題に「嘘」がどんどん入り込む。それがあのただ飲むだけの殺風景な場所を輝かすちっぽけな起爆剤のような役割を担っているのでもある。そして男等の束の間の「宴」が終わってしまうと、それこそ嘘のようにあの殺風景なただ飲むだけの場所は霧散してしまう。何事もなく霧の彼方へと消えていくのみである。それで、よいのである。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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