古豪「下関商」二回線で敗退。うーん、あの野球はもう古いのか。(哲




2015ソスN8ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

August 1482015

 飯盒の蓋に鳥の餌終戦日

                           望月紫晃

盒(はんごう)は、キャンプ・登山など野外における調理に使用する携帯用調理器具・ 食器である。平和な日本の今では趣味のキャンプ等に登場するが、臨戦態勢の戦時中では水筒とともに命を繋ぐ欠かせない容器であった。南方戦線を渡り歩いた私の父はさして威力も無い銃と飯盒一つを携えて投降したと言う。その時、一瞬一瞬に怯える命から開放された。命あることの喜びに包まれて、作者は今飯盒の蓋で鳥に餌をやっている。小鳥よ楽しく囀れよ、もう戦争は懲り懲りだ。明日は八月十五日。他に森功氏の<小さな駅で一人の兵士が泣いていた>、若月恵子氏の<今日よりは帯解く眠り蚊帳青し>、八住利一氏の<なげ出した三八銃に赤とんぼ>など戦争の1,000句が所載されている。『十七文字の禁じられた想い(塩田丸男編)』(1995)所載。(藤嶋 務)


August 1382015

 曇天や遠泳の首一列に

                           曾根 毅

泳と言えば平泳ぎ、波に浮き沈みする頭が沖へ沖へと連なっているのだろう。私が若い頃赴任した山口県秋穂の中学校では遠泳大会があり、湾を囲むように突き出た岬から岬へ1年から3年まで全員が泳いだ。もちろん先生が舟に乗って監視をしながらではあるが。都会育ちで金槌の私は役立たずということで砂浜に座って沖へ連なる頭を見ているしかなかった。ここでは「首一列に」という表現に胴体から切り離された打ち首が並んでいる様子を想像せざるを得ない。空は夏の明るさはなくどんよりと曇っている。その色を映して海も灰色で夏の明るさはないだろう。夏の眩しさと対照的に日本の夏は原爆と敗戦と同時に加害者としての戦争の記憶を拭い去ることは出来ないだろう。一列に続く遠泳の首のイメージはその暗さを象徴しているように思える。『花修』(2015)所収。(三宅やよい)


August 1282015

 蝉鳴くや隣の謡きるゝ時

                           二葉亭四迷

つて真夏に山形県の立石寺を訪れたとき、蝉が天を覆うがごとくうるさく鳴いていた。芭蕉の句「閑かさや岩にしみ入る蝉の声」どころか、岩を転がし砕かんばかりの圧倒的な声に驚嘆したことが忘れられない。ごく最近、海に近い拙宅で一回だけうるさく鳴く蝉の声で、早朝目覚めたことがあった。幸い天変地異は起こらなかったが、いつからか気象は狂ってしまっているらしい。掲出句の蝉は複数鳴いているわけではあるまい。隣家で謡(うたい)の稽古をしているが、あまりうまくはない。その声が稽古中にふと途切れたとき、「出番です」と誘われたごとく一匹の蝉がやおら鳴き出した。あるいは謡の最中、蝉の声はかき消されていたか。そうも解釈できる。「きるゝ時」だから、つっかえたりしているのだろう。意地悪くさらに言うならば、謡の主より蝉のほうがいい声で鳴いていると受け止めたい。そう解釈すれば、暑い午後の時間がいくぶん愉快に感じられるではないか。徳川夢声には「ソ連宣戦はたと止みたる蝉時雨」という傑作がある。四迷には他に「暗き方に艶なる声す夕涼」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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