July 252015
見てをれば星見えてゐる大暑かな
対中いずみ
今年、二十四節気の大暑は二十三日の木曜日だった。村上鬼城に〈念力のゆるめば死ぬる大暑かな〉の句があるが、しばらくは続くであろう極暑の日々を思うとまさに実感、という気がしてくる。鬼城句に対して掲出句は、もう少しゆるりとした大暑の実感だ。夕暮れ時となればさすがに暑さもややおさまって、窓を開けて空を仰ごうという気も起きる。そんな時、初めは何も見えないけれどそのうちに目が慣れてぽつりぽつりと星が見えてくる、という経験は誰にもあるはずだが、見えてゐる、によってまさに、いつのまにか、という感覚が巧みに表現されている。そして、ああ本当に今日も暑かった、とさらにぼんやりと空を見続けてしまうのだろう。『巣箱』(2012)所収。(今井肖子)
July 242015
海鳥の取り落とす餌や大南風
依光陽子
南風(みなみ)は元来船乗りの用語だったらしく、夏の季節風のことだ。あたたかく湿った風で、多く日本海側で吹く強い風を「大南風(おおみなみ)」と言う。結構な荒波で海鳥も捕獲した餌を取り落とすことがある。閑話休題。佐渡へ向かう定期便は割と大きな船なので少々の風では欠航しない。甲板に出ると鴎が寄ってきて餌をねだる。長年観光客が面白がって餌を与え続けたので、そうした習慣が身に着いてしまったのだろう。日本の海岸線には多くの島が点在し、そこへは何処でも何らかの渡船ルートや観光船コースがある。ある時遊覧船で鯛に餌を撒いていたら海面に落ちる前に鴎に奪われた。あんなひらひら風に舞う餌をさっと咥えるとは名人技である。今度こそ取られまいと餌を投げた瞬間に「こらっ!」と言って手をぱちんと叩いたら鴎が餌を取り損ねた。非日常の想定外の状況下では、猿も木から落ちるし海鳥も餌を取り落とすものである。「俳壇」(2014年12月号)所載。(藤嶋 務)
July 232015
通知簿の涼しき丸の並び方
工藤 恵
今日明日あたりは終業式、子供たちはランドセルに通学バッグに通知簿を持ち帰り、親にこってり絞られることだろう。この頃の小学校の評価はどうなっているかわからないが、むかしむかしの子どもの通知表を数十年ぶりに引っ張り出して、涼しい丸の並び方を考えてみた。「たいへんよい」「よい」「がんばろう」で涼しく丸がならぶって、横一列にぎっしり並んでなくて、三つの評価が間合いよくばらばらと並んでいる方が風通しがいい。「たいへんよい」の横一列になるまでがんばれと子どもを叱咤激励することを思えば。ばらばらの丸の配置の通知簿を「何だかこの丸の並び方、涼しげねぇ」なんて、ほほんとしている親の方が子どもにとって気楽だろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)
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