安倍内閣支持率急降下。ゴーマン内閣は、しかしやることはやる。(哲




2015年7月21日の句(前日までの二句を含む)

July 2172015

 空中で漕ぎし自転車雲の峰

                           中嶋陽子

ダルを漕ぐ姿勢は常に地から足が離れているという事実。普段気にとめない日常の動作が、実は空中で行っているものだと気づいたとき、ものすごい芸当であるような感覚が生まれる。そういえば、かつて自転車から補助輪を外したときの喜びは途方もないものだった。大人と同じであることが大きな自信につながっていた。実際、徒歩しかなかった行動範囲がずっと自由に大きく広がった瞬間だった。むくむくと盛り上がる入道雲に「こっちへおいで」と手招きされ、どこまでも行けるような晴れ晴れした心地をあらためて思い出す。〈山の神海の神ゐて風薫る〉〈短夜の声変へて子に読み聞かす〉『一本道』(2015)所収。(土肥あき子)


July 2072015

 鍬かつぎ踊の灯へと帰りゆく

                           中山世一

踊の灯。田舎の夜にとっては、特別な灯だ。普段は暮れてくると、漆黒の闇が訪れる。が、踊の夜だけは違う。多くは小学校などの広い土地が選ばれるが、今宵は灯が灯されて、暗闇に慣れた目には異常なほどに明るく写る。そんな灯を目指すかのように、仕事を終えた農夫が畑から帰ってくる。彼らが足早になるのは、単に踊の輪に加わりたいからではない。盆踊りが楽しみなのは、この行事のために久しぶりに帰郷してきた知人や友人の顔が見られるからだ。盆踊りの夜には、あちこちで再会の喜びの声が聞こえる。私も田舎に帰っていたころには、踊よりもこれらの邂逅のほうが数倍も楽しみだった。盆踊りは深夜に及ぶが、参加者には束の間くらいにしか感じられない。夢のような夜だと言ってもよい。明日になれば、また一年間会えぬ顔である。鍬をかつぐ肩に弾みがつくのも無理からぬ所以だ。『草つらら』(2015)所収。(清水哲男)


July 1972015

 毒死列島身悶えしつつ野辺の花

                           石牟礼道子

月12日の夜は、大分で地震がありました。今月に入って、根室で震度3、盛岡で震度5弱、栃木でも震度4など、列島は揺れています。これに加えて、口永良部島の噴火や、箱根、浅間山、昨年は木曽の御嶽山の惨事がありました。霧島では、火山性地震が急増している一方で、同じ鹿児島県の川内原発1号機では、原子炉に核燃料を搬入する作業が完了しました。他の誰でもない石牟礼道子氏が「毒死列島」という言葉を句にするとき、それは誇張ではない実質を伝えます。「身悶え」という言葉も同様に、日本人の営みは、この土地とじかにつながっていて、この土地の身内として自身の営みを続けてきた実感を伝えています。以下、句集の解説から、上野千鶴子氏との対話を抜粋します。「3.11のときに何を感じられたのですか。」「あとが大変だ、水俣のようになっていくに違いないって、すぐそう思いました。」「水俣と同じことが福島でも起こる、と。」「起こるでしょう。また棄てるのかと思いました。この国は塵芥のように人間を棄てる。役に立たなくなった人たちもまだ役に立つ人たちも、棄てることを最初から勘定に入れている。役に立たない人っていないですよね。ものは言えなくても、手がかなわなくても、そこにいるだけで人には意味がある。なのに『棄却』なんて言葉で、棄てるんです。」「人間がやることは、この先もあんまりよくなる可能性はないですか。」「あまりない。いや、いいこともあります。人間にも草にも花が咲く。徒花(あだばな)もありますけど。小さな雑草の花でもいいんです。花が咲く。花を咲かせて、自然に返って、次の世代に花の香りを残して。」『石牟礼道子全句集 泣きなが原』(2015)所収。(小笠原高志)




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