ちょっと寝ていました。ご心配をおかけしました。復活です。(哲




2015ソスN7ソスソス18ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

July 1872015

 パラソルの精一ぱいの陰つくる

                           豊田いし子

ルは太陽、パラソルは太陽から身を守るという意味だといい、日傘の傍題となっているが、この句のパラソルは砂日傘、ビーチパラソルを思わせる。それも、込み合った砂浜にところせましと立ち並んでいるのではなく、広々とした砂浜に一本だけ、少し傾き立っているビーチパラソル。白い砂の上にパラソルが作るくっきりとした八角形は、一面の光の風景の中のただ一つの影であり陰である。決して大きくはないその陰を作るだけのためにそこにあるパラソル、心象風景のような一枚の絵が浮かんでくる。先日、海水浴場の光景をテレビで見たが、砂浜にはパラソルならぬテントが並んでいた。昨今の異常な日差しにはこの方が合理的ではあるが、精一ぱいという健気さはないだろう。『曙』(2015)所収。(今井肖子)


July 1772015

 みづうみは光の器夏つばめ

                           比田誠子

段から湖畔に住む人は別として、湖へは避暑に行く場合が多い。湖畔のキャンプやロッジでの宿泊は一夏のバケーションの良き思い出となる。ボートや水遊び釣りなどで楽しき時を過ごす。青春の乙女らが歌声高らかに通り過ぎて行く。来し方行く末に馳せる思念もいつしか茫々と景色の中に消滅してゆく。そんな至福の時の中でふと眼前を眺めれば、きらきらとした光の反射の中を燕がすいすいと飛んでいる。眼前の湖水も眺めている内に圧倒的に輝く光の固まりとなってゆく。何を見ても今は眩しい。眩しい湖水を前に佇めばなるほど湖は光りの器かも知れぬ。その中を切れ味良く横切ってゆく黒い一線は燕である。現実の中の非日常。非日常の心の安らぎと眩しさ、そっくりと記憶の器へぽいと放り込んで持帰ろう。<うぐひすや創刊号を発送す><囀へ大道芸の荷をおろす><海光に飾り冑の朱房かな>が所載されている。『朱房』(2004)所載。(藤嶋 務)


July 1672015

 空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥

                           村上鞆彦

の夕暮れは長い。日差しが傾き、炎熱に抑えられていた風が心地よく吹き始め、戸外で夕涼みをするには一番の時間帯だ。夕焼雲と藍色がかった空がグラデーションを描く。暗くなりそうでならない、薄明の暮時でもある。その様子を「空はまだ薄目を開けて」と言い取ったところが魅力的だ。蚊喰鳥、こうもりが飛び始めるのもそんな時間帯。「薄目」はほとんど見えているかどうかわからないこうもりの目の表情も連想させる。この頃めっきりこうもりを見なくなったと思っていたが、先月琵琶湖畔に盛んに飛び回っているのを見た。かはほりは「川守」に通じるというので、水辺に多いのだろうか。飛び交う蝙蝠と暮れていく夏の宵を存分に楽しんだ、そのことが掲句を読んで鮮やかに蘇った。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)




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