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July 1372015

 花合歓に水車がはこぶ日暮あり

                           鈴木蚊都夫

に描いたような句だが、合歓の花の美しさを描して過不足がない。私の個人的な美観がそういわしめるのかもしれないが、合歓の花の美しさはこのように現れる。日の長い夏の夕方に咲く花だからだろうか。合歓に魅せられたのは、中学一年ころだったと思う。学校からの帰り道、まだ家まで遠い小川のほとりに一群れの合歓が自生していて、この季節にそれを見るのが楽しみだった。静かな小川の流れに合歓の花はしっとりと、しかしゴージャスな風情で咲いており、いつも立ち止まっては見つめたものだった。思えば中学生が花を眺めてうっとりしている図は珍妙に見えただろうが、あれはいったい何だったのだろう。いずれにしてもこの句は、美々しすぎるほどに美々しいが、「それがどうしたの」と言いたい気持ちが私にはある。そういえば、最近合歓の花を見たことがない。東京のどこかに咲いていないだろうか、ご存知の方にご教示を乞いたい。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 1272015

 旅びとに夕かげながし初蛍

                           角川春樹

に出て何日経つだろうか。今日も日が暮れてゆく。旅に出ると、だんだんおのが身がむき出しになってきて、背負ってきた過去の時間は、夕影に長く伸びている。しかし、夕闇が深くなり始めて、この夏初めて見る蛍は光を発光してうつろっている。私にはうつろって見えるけれど、実際は、まっすぐに求愛している。けれども、人がそうであるように、蛍の恋も迷いさまようのではないだろうか。「源氏名の微熱をもちし恋蛍」。拙者のことをやけに艶っぽく詠んでくれました。源氏名とは洒落てい ます。われわれと同様に、人間界の恋も、微熱をともなうらしいですね。医学的には、風邪の症状と恋している症状は同等なので、将来的には恋する注射も開発可能と聞いたことがあります。ならば、失恋の鎮痛薬も出来そうですが、閑話休題。「夕蛍真砂女の恋の行方かな」。消えるとわかっていても光ろうとする。できないからやろうとする。かなわないから、さらに発光する。しかし、現実には、「手に触れて屍臭(ししゅう)に似たる蛍かな」ということも。人は、蛍の光に恋情を見ますが、作者は、その生臭い実態を隠しません。掲句に戻ります。中七まで多用されているひらがなが流れつく先に、初蛍が光っています。旅人と夕影と初蛍の光の情景から、音楽が生まれてもおかしくない気がします。引用句も含めて『存在と時間』(1997)所収。(小笠原高志)


July 1172015

 花柘榴雨きらきらと地を濡らさず

                           大野林火

榴の花の赤は他のどの花にもない不思議な色だ。近所に、さほど大きくない柘榴の木が門のすぐ脇に植えられている家がある。今年も筒状の小さい花が、ことさら主張することなくそちこち向きつつ葉陰に咲いていたが、自ずと光って通りがかりの人の目を引いていた。その光る赤を表現したい、と思ったことは何度もあるのだが今ひとつもやもやしたまま過ごしていた時この句を知った。細かい雨の中、柘榴の花が咲いている。きらきら、は柘榴の花そのものが放つ光の色であり、雨は光を溜めて静かに花を包んでいる。その抒情を、地を濡らさず、という言い切った表現が際立たせており、作者の深く観る力に感じ入る。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)




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