2015N7句

July 0172015

 夏を病む静脈に川の音を聞く

                           岸田今日子

だから半袖の薄い部屋着で臥せっているのだろう。病んで白っぽくなってしまった自分の腕をよくよく見ると、静脈が透けて見えるようだ。そこを流れる血の音までが、頼りなくかすかに聞こえてくるようでさえある。病む人の気の弱りも感じられる。静脈の流れを「川の音」と聞いたところに、この句の繊細な生命が感じられるし、繊細にとがった神経が同時に感じられて、思わずしんとしてしまう。身は病んでも、血は淀んでいるわけではなく生きて音たてて流れている。今さらながら、女性特有の細やかさには驚くばかりである。今日子は童話やエッセイ、小説にも才能を発揮した女優。俳号を「眠女」と名乗り、冨士眞奈美や吉行和子らが俳句仲間であった。三人はよく旅もした仲良しだった。昔あるとき、父國士が言い出して家族句会が始まった。そのとき一等賞に輝いたのが、今日子の句「黒猫の影は動かず紅葉散る」だったという。他に「春雨を髪に含みて人と逢う」がある。いずれも独自な世界がひそんでいる。内藤好之『みんな俳句が好きだった』(2009)所載。(八木忠栄)


July 0272015

 台形の面積のこと蛇のこと

                           中谷仁美

形の面積?小学校のときに習ったけど思い出せない。ネットで検索すればすぐに公式は出て来るけど、丸暗記した記憶は頭の片隅にも残っていない。「こんなこと勉強しても仕方がない」苦手な理数科系の教科の試験の前にはいつでもそんな不満が頭を渦巻いていた。そんな台形の面積と蛇が並列においてあるってことは句の裏の気持ちはどちらも苦手っていうことか。で、なくとも台形の面積を学んだあとに蛇のからだの仕組みの授業なのかも。唐突に台形の面積と公式と蛇が並ぶこの並びかたがおかしい。田畑の多い田舎では夏場の蛇はありふれたものだったが、最近は青大将も動物園の爬虫類館でみる有様、蛇も公式と同じように今や観念的存在なのかも。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


July 0372015

 消えかけし虹へペンギン歩み寄る

                           金子 敦

ンギンは主に南半球に生息する 海鳥であり、飛ぶことができない。海中では翼を羽ばたかせて泳ぐ。海中を自在に泳ぎ回る様はしばしば「水中を飛ぶ」と形容される。陸上ではよちよちと歩く姿がよく知られているが、氷上や砂浜などでは腹ばいになって滑ったりする。飛ぶことを失った鳥。話は逸れるが、小生の周りにパニック障害に苦しむ者が居る。自分の行動が自分の意のままにならないのだ。勤めに出ようにもそこへ向かう一歩が硬直して踏み出せない。今空へ向かって飛出せないペンギンの姿が重なって見えてくる。真っ白な南極に七色の虹が掛り今消えかかっている。普段見慣れぬ虹に見とれていたペンギンが、もう少し夢の時間を惜しむかのように歩み寄って行った。もしも飛べたなら空へ向かって羽ばたいたろうか。それでもペンギンは消えかけた虹へ向かってよちよちと歩み寄って行くのであった。他に<メビウスの帯の中なる昼寝覚><月の舟の乗船券を渡さるる><白薔薇に吸ひこまれたる雨の音>などあり。『乗船券』(2012)所収。(藤嶋 務)


July 0472015

 絵にしたき程に履かれし登山靴

                           中村襄介

物画を描こうと花瓶の花と向き合ったり、旅先でスケッチブックを開いて目の前に広がる風景を写したりする時は、描こうという気持ちが先にある。それとは別に、ふと描いてみたいという衝動に駆られる時があるがそれは、ひょいと覗いた路地裏だったり、無造作に積まれた野菜だったり、およそ描かれることを意識していないようなものが多い。この句の登山靴はかなり履き込まれていてそれが今、静かに脱がれ置かれている。どれほどの大地を踏みしめてきたのか、二つと同じものはないその形は、持ち主と共に過ごした時間の形でもあり、描きたい、と思った作者に共感する次第である。『山眠る』(2014)所収。(今井肖子)


July 0572015

 チングルマ一岳霧に現れず

                           友岡子郷

に一度、チングルマを見られる人は幸せです。高山植物の代表格であるチングルマは、本州なら3000m級、北海道なら2000m級の山に、夏の短い期間にしか咲かない花です。登山者は、年に一度の逢瀬のために重荷を背負って山を登ります。なぜ、山に登るのか。そこに山があるから。いや、むしろ、チングルマに会いに行くためです。掲句の登山者は、高度を上げて登ってきて、ようやくチングルマの見える地点に到達しました。チングルマは、森林限界よりも高い標高の稜線や、尾根のお花畑に自生して います。頂上もテント場も間近です。しかし、霧に隠れて「あの山」が見えない。岳人の心には、造形美への希求があって、思い描いてきた山稜の形態が霧に隠れているとき、白い霧に拒絶されながらも、眼前のチングルマには、いとおしい視線を注ぎます。夏、チングルマは裏切らない。遠景の無情と、近景の有情。私事ですが、釧路の高校の三年間、山岳部員として毎夏、五泊六日で十勝岳、トムラウシを経て大雪山旭岳まで縦走していました。25kgのキスリングは肩に食い込み、毎日十数kmの行程をのっしり脚を踏ん張って登り下りました。大雪山の雪渓を削って粉末ジュースをふりかけると、かき氷ができます。そこを越えるとチングルマの群生が迎えてくれました。旭岳は間近で、白い花弁の黄色い小さな花 が咲いています。『風日』(1994)所収。(小笠原高志)


July 0672015

 涼しさは葉を打ちそめし雨の音

                           矢島渚男

が子供だったころには、降り出せば屋根にあたるわずかな雨の音からも、それがわかった。でも、いまでは部屋の構造そのものが外の雨音を遮断するようにできているので、よほど激しい降りででもないかぎりは、窓を開けてみないと降っていることを確認できない。これを住環境の進歩と言えば進歩ではあるけれど、味気ないと言えばずいぶんと味気なくなってきたものだ。もっともたとえば江戸期の人などに言わせれば、大正昭和の屋根にあたる雨音なども、やはり味気ないということになってしまうのだろうが……。そんななかにあっても、「葉を打つ雨音」など、おたがいに自然の営みだけがたてる音などはどうであろうか。それを窓越しに聞くのでなければ、これは大昔から不変の音と言ってよいだろう。昔の人と同じように聞き、揚句のように同じ涼しさを感じることができているはずである。芭蕉の聞いた雨音も、これとまったく変わってはいないのだ。と、思うと、読者の心は大きく自由になり、この表現はそのまま、また読者のものになる。『百済野』所収。(清水哲男)


July 0772015

 べうべうと啼きて銀河の濃くありぬ

                           小林すみれ

うべう(びょうびょう)は江戸期まで使われていた犬の鳴き声。動物や鳥の鳴き声の擬音は国により様々だが、時代によっても異なる。現在使われる「ワン」は従順で快活な飼い犬の声にふさわしく、「びょう」は野犬が喉を細くして遠吠えする姿が浮かぶ。今夜は七夕。天の川に年に一度だけカササギの橋がかかり、織り姫と彦星の逢瀬が叶う。このたびあれこれ調べるなかで「彦星」が「犬飼星」の和名を持つことを知った。今夜聞こえる遠吠えはすべて、いにしえの主人を慕う忠犬たちのエールにも思えてくる。〈開けられぬ抽斗ひとつ天の川〉〈バレンタインデー父をはげます日となりぬ〉『星のなまへ』(2015)所収。(土肥あき子)


July 0872015

 肩先でジャズ高鳴るや夏の渓

                           中上哲夫

ャズと中上哲夫とは切っても切れない仲である。それはある意味で羨ましいことだし、ある意味で不幸なことでもあろう。「夏、丹沢にて」と題して俳句雑誌に発表(1994)された七句のうちの一句である。親しい詩人たちと渓流釣りに行ったときの句だ。すがすがしい渓流に行ってまで、ジャズが現実に彼の心のなかでか高鳴っている、という状態は幸せと言えば幸せ、不幸と言えば不幸なことではないか。「釣りに集中しなさい!」と言ってやりたくなる。(そういう私は釣りはやらないのだが…。)静かな友人や騒々しい友人たちと一緒に渓流で釣糸を垂れている至福のとき(?)。そんなときに高鳴るジャズ。果たしてそんなときの釣果は? 彼の詩集『ジャズ・エイジ』(2012)に「ーーなんでジャズなんかやるの?/ーー自由になれるからよ/サックスを吹いていると/背中に羽根が生えてくるのよ」という素敵なフレーズがある。それを「ーーなんでジャズなんか聴くの?」と置き替えてみよう。きっと「背中」ではなく「肩先にジャズの羽根」が生えてくるのだろう。新刊の現代詩文庫『中上哲夫詩集』(2015)には、掲出句をはじめ64句が収められている。その勇気を素直に讃えよう。(八木忠栄)


July 0972015

 立ち読みの皆柔道部夏の暮

                           森島裕雄

るいる。部活帰りの重そうなビニールバッグを足元に置いて、柔道部の連中が書店の雑誌売り場にコミック売り場にごそっと溜まって立ち読みをしている。見回りの先生が一瞥すれば、野球部のメンツ、サッカー部のメンツ、とすぐに判別がつくのだろう。それにしても柔道部ときたらみんなガタイがよくて、おまけに暑苦しそう。夏の暮は七時ぐらいになってもまだ明るい。通勤帰りの客がちょっと書店でも寄ってみようかと思う時間帯でもある。場所ふさぎの連中には退去してほしいが、店の人が声をかけるのも躊躇するぐらい迫力があるのかも。柔道部の連中もそんな店の雰囲気を察して大きな身体を縮こませて立ち読みをしているのかも。そんな情景を想像すると掲句の「柔道部」に何ともいえない愛敬とおかしみがある。『みどり書房』(2015)所収。(三宅やよい)


July 1072015

 大瑠璃や岸壁すでに夜明けたる

                           石野冬青

字どおり瑠璃色の鮮やかな鳥である。ただしこれはオスの色で、メスはぐっと地味なスズメ色(オリーブ褐色)である。九州以北の低山の林に夏鳥として渡来する。特に渓流に沿った林を好み、飛んでくる虫を空中で捕えては枝にもどる。繁殖期の初夏になると、ピーリーピーリリ、ジジッと、必ず最後にジジッと言う声を響かせて鳴く。この鳴き声の美しさは、コマドリの「ヒンカラカラカラ」、ウグイスの「ホーホケキョー」と共に日本三鳴鳥と讃えられている。驚くほど星の美しい渓に寝付かれぬ夜を明かす。テントから顔を出せば夜も白々と明けて清らかな水の流れが聞こえてくる。うっすらと白んだ岸壁には「ピーリーピーリリ、ジジッ」が鳴き響いている。<瑠璃鳴くる方へ総身傾けぬ>(加藤耕子)では無いが、耳だけでなく全身で聴きたくなる声である。『新版・俳句歳時記』(2001・雄山閣出版)所載。(藤嶋 務)


July 1172015

 花柘榴雨きらきらと地を濡らさず

                           大野林火

榴の花の赤は他のどの花にもない不思議な色だ。近所に、さほど大きくない柘榴の木が門のすぐ脇に植えられている家がある。今年も筒状の小さい花が、ことさら主張することなくそちこち向きつつ葉陰に咲いていたが、自ずと光って通りがかりの人の目を引いていた。その光る赤を表現したい、と思ったことは何度もあるのだが今ひとつもやもやしたまま過ごしていた時この句を知った。細かい雨の中、柘榴の花が咲いている。きらきら、は柘榴の花そのものが放つ光の色であり、雨は光を溜めて静かに花を包んでいる。その抒情を、地を濡らさず、という言い切った表現が際立たせており、作者の深く観る力に感じ入る。『季寄せ 草木花 夏』(1981・朝日新聞社)所載。(今井肖子)


July 1272015

 旅びとに夕かげながし初蛍

                           角川春樹

に出て何日経つだろうか。今日も日が暮れてゆく。旅に出ると、だんだんおのが身がむき出しになってきて、背負ってきた過去の時間は、夕影に長く伸びている。しかし、夕闇が深くなり始めて、この夏初めて見る蛍は光を発光してうつろっている。私にはうつろって見えるけれど、実際は、まっすぐに求愛している。けれども、人がそうであるように、蛍の恋も迷いさまようのではないだろうか。「源氏名の微熱をもちし恋蛍」。拙者のことをやけに艶っぽく詠んでくれました。源氏名とは洒落てい ます。われわれと同様に、人間界の恋も、微熱をともなうらしいですね。医学的には、風邪の症状と恋している症状は同等なので、将来的には恋する注射も開発可能と聞いたことがあります。ならば、失恋の鎮痛薬も出来そうですが、閑話休題。「夕蛍真砂女の恋の行方かな」。消えるとわかっていても光ろうとする。できないからやろうとする。かなわないから、さらに発光する。しかし、現実には、「手に触れて屍臭(ししゅう)に似たる蛍かな」ということも。人は、蛍の光に恋情を見ますが、作者は、その生臭い実態を隠しません。掲句に戻ります。中七まで多用されているひらがなが流れつく先に、初蛍が光っています。旅人と夕影と初蛍の光の情景から、音楽が生まれてもおかしくない気がします。引用句も含めて『存在と時間』(1997)所収。(小笠原高志)


July 1372015

 花合歓に水車がはこぶ日暮あり

                           鈴木蚊都夫

に描いたような句だが、合歓の花の美しさを描して過不足がない。私の個人的な美観がそういわしめるのかもしれないが、合歓の花の美しさはこのように現れる。日の長い夏の夕方に咲く花だからだろうか。合歓に魅せられたのは、中学一年ころだったと思う。学校からの帰り道、まだ家まで遠い小川のほとりに一群れの合歓が自生していて、この季節にそれを見るのが楽しみだった。静かな小川の流れに合歓の花はしっとりと、しかしゴージャスな風情で咲いており、いつも立ち止まっては見つめたものだった。思えば中学生が花を眺めてうっとりしている図は珍妙に見えただろうが、あれはいったい何だったのだろう。いずれにしてもこの句は、美々しすぎるほどに美々しいが、「それがどうしたの」と言いたい気持ちが私にはある。そういえば、最近合歓の花を見たことがない。東京のどこかに咲いていないだろうか、ご存知の方にご教示を乞いたい。『現代俳句歳時記・夏』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


July 1472015

 扇風機うしろ寂しき形して

                           伊藤庄平

本に初めて輸入された電気扇風機は1893(明治26)年。スイッチひとつで風が送られる装置は蒸し暑い夏にどれほどありがたかったことだろう。クーラーに圧倒されながらも、現代でも羽根のないタイプなど新機種が登場する。しかし、掲句で描かれる扇風機は新型とはほど遠い昔ながらの扇風機だ。しかも、おしゃべりになった今どきの家電は、お風呂は「沸きました」と知らせ、電話は「着信一件です」と報告するなかで、扇風機は今も昔もひたすら寡黙を通している。風を送り続けるということが「作業」というより「労働」を感じさせるからだろうか。振り続ける首筋にそこはかとない哀愁が漂う。〈入日より取り出すやうに林檎捥ぐ〉〈母子草その名を知りてより折らず〉『初蝶』(2015)所収。(土肥あき子)


July 1572015

 雲の峯見る見る雲を吐かんとす

                           寺田寅彦

空にぐんぐん盛りあがってゆく雲の峯は、まさに「見る見る」その姿を変えてしまう。まるで生きもののようである。見ていて飽きることがない。ダイナミックに刻々と姿を変えてゆくさまは、「雲を吐」くように見えたり、噴きあげるように見えたり、動物など生きものの姿にそっくりに見えたりして、見飽きることがない。雲が雲を吐くととらえた、そのときの様子が目に見えるようである。何年か前、わが家の愛犬が死んで遺骨にしての帰路、春の空前方に浮かんだ雲が、走る愛犬の姿そっくりに見えて感激したことがあった。寅彦は俳句を漱石に熱心に師事したけれども、句集は出していない。俳号は寅日子。しかし、「俳句の本質的概論」や「俳句の精神」「俳諧瑣談」の他、俳句に関する論文はさすがにいくつかある。他に「涼しさの心太とや凝りけらし」「曼珠沙華二三本馬頭観世音」などの句がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 1672015

 空はまだ薄目を開けて蚊喰鳥

                           村上鞆彦

の夕暮れは長い。日差しが傾き、炎熱に抑えられていた風が心地よく吹き始め、戸外で夕涼みをするには一番の時間帯だ。夕焼雲と藍色がかった空がグラデーションを描く。暗くなりそうでならない、薄明の暮時でもある。その様子を「空はまだ薄目を開けて」と言い取ったところが魅力的だ。蚊喰鳥、こうもりが飛び始めるのもそんな時間帯。「薄目」はほとんど見えているかどうかわからないこうもりの目の表情も連想させる。この頃めっきりこうもりを見なくなったと思っていたが、先月琵琶湖畔に盛んに飛び回っているのを見た。かはほりは「川守」に通じるというので、水辺に多いのだろうか。飛び交う蝙蝠と暮れていく夏の宵を存分に楽しんだ、そのことが掲句を読んで鮮やかに蘇った。『遅日の岸』(2015)所収。(三宅やよい)


July 1772015

 みづうみは光の器夏つばめ

                           比田誠子

段から湖畔に住む人は別として、湖へは避暑に行く場合が多い。湖畔のキャンプやロッジでの宿泊は一夏のバケーションの良き思い出となる。ボートや水遊び釣りなどで楽しき時を過ごす。青春の乙女らが歌声高らかに通り過ぎて行く。来し方行く末に馳せる思念もいつしか茫々と景色の中に消滅してゆく。そんな至福の時の中でふと眼前を眺めれば、きらきらとした光の反射の中を燕がすいすいと飛んでいる。眼前の湖水も眺めている内に圧倒的に輝く光の固まりとなってゆく。何を見ても今は眩しい。眩しい湖水を前に佇めばなるほど湖は光りの器かも知れぬ。その中を切れ味良く横切ってゆく黒い一線は燕である。現実の中の非日常。非日常の心の安らぎと眩しさ、そっくりと記憶の器へぽいと放り込んで持帰ろう。<うぐひすや創刊号を発送す><囀へ大道芸の荷をおろす><海光に飾り冑の朱房かな>が所載されている。『朱房』(2004)所載。(藤嶋 務)


July 1872015

 パラソルの精一ぱいの陰つくる

                           豊田いし子

ルは太陽、パラソルは太陽から身を守るという意味だといい、日傘の傍題となっているが、この句のパラソルは砂日傘、ビーチパラソルを思わせる。それも、込み合った砂浜にところせましと立ち並んでいるのではなく、広々とした砂浜に一本だけ、少し傾き立っているビーチパラソル。白い砂の上にパラソルが作るくっきりとした八角形は、一面の光の風景の中のただ一つの影であり陰である。決して大きくはないその陰を作るだけのためにそこにあるパラソル、心象風景のような一枚の絵が浮かんでくる。先日、海水浴場の光景をテレビで見たが、砂浜にはパラソルならぬテントが並んでいた。昨今の異常な日差しにはこの方が合理的ではあるが、精一ぱいという健気さはないだろう。『曙』(2015)所収。(今井肖子)


July 1972015

 毒死列島身悶えしつつ野辺の花

                           石牟礼道子

月12日の夜は、大分で地震がありました。今月に入って、根室で震度3、盛岡で震度5弱、栃木でも震度4など、列島は揺れています。これに加えて、口永良部島の噴火や、箱根、浅間山、昨年は木曽の御嶽山の惨事がありました。霧島では、火山性地震が急増している一方で、同じ鹿児島県の川内原発1号機では、原子炉に核燃料を搬入する作業が完了しました。他の誰でもない石牟礼道子氏が「毒死列島」という言葉を句にするとき、それは誇張ではない実質を伝えます。「身悶え」という言葉も同様に、日本人の営みは、この土地とじかにつながっていて、この土地の身内として自身の営みを続けてきた実感を伝えています。以下、句集の解説から、上野千鶴子氏との対話を抜粋します。「3.11のときに何を感じられたのですか。」「あとが大変だ、水俣のようになっていくに違いないって、すぐそう思いました。」「水俣と同じことが福島でも起こる、と。」「起こるでしょう。また棄てるのかと思いました。この国は塵芥のように人間を棄てる。役に立たなくなった人たちもまだ役に立つ人たちも、棄てることを最初から勘定に入れている。役に立たない人っていないですよね。ものは言えなくても、手がかなわなくても、そこにいるだけで人には意味がある。なのに『棄却』なんて言葉で、棄てるんです。」「人間がやることは、この先もあんまりよくなる可能性はないですか。」「あまりない。いや、いいこともあります。人間にも草にも花が咲く。徒花(あだばな)もありますけど。小さな雑草の花でもいいんです。花が咲く。花を咲かせて、自然に返って、次の世代に花の香りを残して。」『石牟礼道子全句集 泣きなが原』(2015)所収。(小笠原高志)


July 2072015

 鍬かつぎ踊の灯へと帰りゆく

                           中山世一

踊の灯。田舎の夜にとっては、特別な灯だ。普段は暮れてくると、漆黒の闇が訪れる。が、踊の夜だけは違う。多くは小学校などの広い土地が選ばれるが、今宵は灯が灯されて、暗闇に慣れた目には異常なほどに明るく写る。そんな灯を目指すかのように、仕事を終えた農夫が畑から帰ってくる。彼らが足早になるのは、単に踊の輪に加わりたいからではない。盆踊りが楽しみなのは、この行事のために久しぶりに帰郷してきた知人や友人の顔が見られるからだ。盆踊りの夜には、あちこちで再会の喜びの声が聞こえる。私も田舎に帰っていたころには、踊よりもこれらの邂逅のほうが数倍も楽しみだった。盆踊りは深夜に及ぶが、参加者には束の間くらいにしか感じられない。夢のような夜だと言ってもよい。明日になれば、また一年間会えぬ顔である。鍬をかつぐ肩に弾みがつくのも無理からぬ所以だ。『草つらら』(2015)所収。(清水哲男)


July 2172015

 空中で漕ぎし自転車雲の峰

                           中嶋陽子

ダルを漕ぐ姿勢は常に地から足が離れているという事実。普段気にとめない日常の動作が、実は空中で行っているものだと気づいたとき、ものすごい芸当であるような感覚が生まれる。そういえば、かつて自転車から補助輪を外したときの喜びは途方もないものだった。大人と同じであることが大きな自信につながっていた。実際、徒歩しかなかった行動範囲がずっと自由に大きく広がった瞬間だった。むくむくと盛り上がる入道雲に「こっちへおいで」と手招きされ、どこまでも行けるような晴れ晴れした心地をあらためて思い出す。〈山の神海の神ゐて風薫る〉〈短夜の声変へて子に読み聞かす〉『一本道』(2015)所収。(土肥あき子)


July 2272015

 吾妹子も古びにけりな茄子汁

                           尾崎紅葉

書に「対膳嘲妻」とあるから、食膳で妻と向き合って、妻が作った茄子汁を食べながら、おれも年をとったけれど、若かった妻も年をとってしまったなあ、と嘲る気持ちが今さらのように働いている。「吾妹子」として妻に対する親愛の気持ちがこめられているから、そこに軽い自嘲が読みとれる。古女房が作る味噌汁は腕が上がってきて、以前よりずっとおいしくなっている。そのことに改めて気づいたのである。悪意や過剰な愛は微塵もない。これまでの道のりは両者いろいろあったわけだろうけれど、この場合、さりげなくありふれた夏の茄子汁だからいい。たとえば泥鰌汁や鯨汁では、重たくしつこくていけない。古びてさらりとした夫婦の「対膳」である。今の季節、水茄子、丸茄子、巾着茄子など、いろいろと味わいが楽しめる茄子が出まわるのがうれしい。唐突だが、西脇順三郎の「茄子」という詩に素敵なフレーズがある。「人間の生涯は/茄子のふくらみに写っている」と。凄い!「茄子のふくらみ」にそっと写るような生涯でありたいものだと願う。紅葉の他の句に「一人酌んで頻りに寂し壁の秋」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


July 2372015

 通知簿の涼しき丸の並び方

                           工藤 恵

日明日あたりは終業式、子供たちはランドセルに通学バッグに通知簿を持ち帰り、親にこってり絞られることだろう。この頃の小学校の評価はどうなっているかわからないが、むかしむかしの子どもの通知表を数十年ぶりに引っ張り出して、涼しい丸の並び方を考えてみた。「たいへんよい」「よい」「がんばろう」で涼しく丸がならぶって、横一列にぎっしり並んでなくて、三つの評価が間合いよくばらばらと並んでいる方が風通しがいい。「たいへんよい」の横一列になるまでがんばれと子どもを叱咤激励することを思えば。ばらばらの丸の配置の通知簿を「何だかこの丸の並び方、涼しげねぇ」なんて、ほほんとしている親の方が子どもにとって気楽だろう。『関西俳句なう』(2015)所載。(三宅やよい)


July 2472015

 海鳥の取り落とす餌や大南風

                           依光陽子

風(みなみ)は元来船乗りの用語だったらしく、夏の季節風のことだ。あたたかく湿った風で、多く日本海側で吹く強い風を「大南風(おおみなみ)」と言う。結構な荒波で海鳥も捕獲した餌を取り落とすことがある。閑話休題。佐渡へ向かう定期便は割と大きな船なので少々の風では欠航しない。甲板に出ると鴎が寄ってきて餌をねだる。長年観光客が面白がって餌を与え続けたので、そうした習慣が身に着いてしまったのだろう。日本の海岸線には多くの島が点在し、そこへは何処でも何らかの渡船ルートや観光船コースがある。ある時遊覧船で鯛に餌を撒いていたら海面に落ちる前に鴎に奪われた。あんなひらひら風に舞う餌をさっと咥えるとは名人技である。今度こそ取られまいと餌を投げた瞬間に「こらっ!」と言って手をぱちんと叩いたら鴎が餌を取り損ねた。非日常の想定外の状況下では、猿も木から落ちるし海鳥も餌を取り落とすものである。「俳壇」(2014年12月号)所載。(藤嶋 務)


July 2572015

 見てをれば星見えてゐる大暑かな

                           対中いずみ

年、二十四節気の大暑は二十三日の木曜日だった。村上鬼城に〈念力のゆるめば死ぬる大暑かな〉の句があるが、しばらくは続くであろう極暑の日々を思うとまさに実感、という気がしてくる。鬼城句に対して掲出句は、もう少しゆるりとした大暑の実感だ。夕暮れ時となればさすがに暑さもややおさまって、窓を開けて空を仰ごうという気も起きる。そんな時、初めは何も見えないけれどそのうちに目が慣れてぽつりぽつりと星が見えてくる、という経験は誰にもあるはずだが、見えてゐる、によってまさに、いつのまにか、という感覚が巧みに表現されている。そして、ああ本当に今日も暑かった、とさらにぼんやりと空を見続けてしまうのだろう。『巣箱』(2012)所収。(今井肖子)


July 2672015

 汗ぬぐふ捕手のマスクの汗見ずや

                           水原秋桜子

瞬の動作です。捕手は、半袖のユニフォームの袖口で、額の汗をぬぐいます。しかし、キャッチャーマスクにべとついている汗を拭くことはせず、すぐさまマスクを被ります。たぶん、高校野球でしょう。今年もプロ野球を一度、高校野球の予選を一度観戦しましたが、両者の大きな違いの一つに、試合時間の長さがあります。プロ野球の平均試合時間は3時間を超えますが、高校野球は2時間程度です。これは、一球場で一日3試合を消化しなければならないからですが、試合中は主審がタイムキーパーとなり、球児たちは貴重な時間を無駄にしないように機敏に動きます。かつては、バッターアウトのたびに内野がボールを回してからピッチャーに返球していましたが、げんざい、それは行われていません。先日、都予選を府中球場で観たかぎりでは、捕手がマスクを外す回数も非常に少なく、守備中に一度もマスクを外さない捕手もいました。さて、掲句の捕手の場合はどうだったのでしょうか。捕手がマスクを外すのは、ランナーに出られたつかの間です。暑さから出る汗と、焦りの汗が吹き出ることもあるでしょう。その汗を袖口でぬぐうけれど、マスクについている汗は拭き取らない。地味にかっこいい。一高野球部の三塁手だった作者は、ここを見逃さなかった。なお、掲句は「浮葉抄」(昭和12)所収なので、戦前の句ですが、今と変わらない捕手のひたむきな姿を伝えています。「水原秋桜子全句集」(1980)所収。(小笠原高志)


July 2772015

 背泳ぎにしんとながるる鷹一つ

                           矢島渚男

っと日常意識から切り離される時間。そこでは忘我の境というのか、自分がいったい世界のどのあたりにいるのかなど、全てが静かな時間のなかに溶け込んでしまう。このようないわば「聖」なる時間は、宗教的なそれとも違って、当人が予期しないままに姿を現す。偶然といえば偶然。こうした情況は、誰の身辺にも身近に起きるようだ。そんな時間を、たとえば石川啄木は次のように詠んでいる。「不来方の お城の草に寝転びて 空に吸はれし十五の心」。いかにも啄木らしい味付けはなされているものの、これもまた偶然に得られた「聖」なる時間のことだ。当人には何の意図もないのに、世界の側がさっと差し出したてのひらに、否も応もなくすくいあげられてしまうような至福の刻。句で言えば、上空の鷹はそんな時間への案内人だ。なんという不思議さ。とも感じないやわらかな神秘の刻。ながれる鷹を追う目は、無我のまなざしである。私自身にも、このような体験はある。中学生のころ、学校帰りにひとり寝ころんだ山の中腹では、そんなときに、いつも郭公が鳴いていた。その後郭公の声を聞くたびに、私のどこかに、この「聖」なる時間が流れ出す。『天衣』所収。(清水哲男)


July 2872015

 ゴム毬に臍といふもの草いきれ

                           大島英昭

うそう確かに空気を入れる部位をおヘソと呼んでいた。弾みが悪くなればここから自転車の空気入れなどを使って空気を入れるのだが、微妙な具合が分からないとカチンカチンになってしまう。弾みすぎるようになるとかえって勝手が変わって使いづらかった。少女にとってゴム毬はお気に入りの人形と同等の愛情を傾ける。掲句では草いきれが、彼女たちの熱い吐息にも重なり、ゴム毬に注ぐ情熱にも思える。弾みすぎるゴム毬もそのうち空気が抜けてまた手になじむようになる。英語だとball valve(ボール・バルブ)。工具じゃあるまいし、なんとも味気ない。身近な道具のひとつひとつを慈しみ深く見つめているような日本語をあらためて愛おしく思う。『花はこべ』(2015)所収。(土肥あき子)


July 2972015

 鈴本のはねて夜涼の廣小路

                           高橋睦郎

鈴本」は上野の定席の寄席・鈴本演芸場のことであり、「廣小路」は上野の広小路のことである。夜席だろうか、9時近くに寄席がはねて外へ出れば、夏の日中の暑さ・客席の熱気からぬけて、帰り道の広小路あたりはようやく涼しい夜になっている。寄席で笑いつづけたあとの、ホッとするひと時である。高座に次々に登場したさまざまな噺家や芸人のこと、その芸を想いかえしながら、家路につくもよし、そのへんの暖簾をくぐって静かに一杯やるもよし、至福の時であろう。「夜涼」は「涼しさ」などと同様、夏の暑さのなかで感じる涼しさのことを言う。睦郎は2001年に古今亭志ん朝が亡くなったとき「落語國色うしなひぬ青落葉」という句を詠んで、そのあまりに早い死を惜しんだ。小澤實が主宰する「澤」誌に、睦郎は「季語練習帖」を長いこと連載しているが、掲句はその第67回で「涼し、晩涼、夜涼」を季語としてとりあげたなかの一句。「『涼し』という言葉の中には大小無数の鈴があって響き交わしている感がある」とコメントして、自句「瀧のうち大鈴小鈴あり涼し」を掲げている。「澤」(2015年7月号)所載。(八木忠栄)


July 3072015

 草取りの後ろに草の生えてをり

                           村上喜代子

始めは柔らかかった草も夏の日にさらされ、雨に打たれどんどんふてぶてしくなってゆく。地面からはとめどなく草が噴出してきて、放っておけばたちまち家の周りが雑草だらけになる。田舎の家で草取りをすると、玄関で草取りをして裏まで回って、また玄関を見れば取り残した草だけでなく、もう新しい草が生え始めている。まったく草取りは果てしない作業に思える。夏の盛りに田んぼに草取りをする人をあまり見かけなくなったのは農薬が飛躍的に進歩したせいかもしれないが、そう除草剤に頼るわけにはいかないだろう。田舎にも久しく帰らず、草取りも何十年もしたことがないが田舎の家や墓所を維持するのは並大抵なことではないと掲句に出会ってつくづく思った。『村上喜代子句集』(2015)所収。(三宅やよい)


July 3172015

 老鶯の声つやつやと畑仕事

                           満田春日

の鳴き声は秋のジジッジジッの地鳴きに始まって冬のチャッチャッの笹鳴き、ホーホケキョウの春の囀り、夏の老鶯の鳴き盛りと四季を彩ってゆく。秋冬に山にいたものも、春には公園や庭の藪中や川原のヨシやススキの原などに移ってくるが、鳴き声は聞こえても姿はなかなか確認できない。一説には鶯にも方言があって地方地方での鳴き方には差があるらしい。繁殖相手に競争が少ない地方ではのんびりと鳴き、競争の激しい所では激しく鳴くとも言われている。一般にホーホケキョウは「法、法華経」と聞きなされている。今畑打つ傍らで鳴く鶯の声は恋の一仕事を終えた余裕なのかつやつやと聞こえる。あるいは熟練した人間国宝の様な鳴き技かも知れぬ。夏の萬物の盛るころ、命に懸命に向かうのは鳴きしきる老鶯も畑打つ人間もおなしである。他に<からませし腕の記憶も青葉どき><乳母車上ぐる階段アマリリス><短夜の書架に学研星図鑑>など掲載。俳誌「はるもにあ」(2014年8月号)所載。(藤嶋 務)




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