天候異変のなか、梅雨だけはきちんとやってくる。律義だなあ。(哲




2015ソスN6ソスソス3ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

June 0362015

 青嵐父は歯を剝き鎌を研ぐ

                           車谷長吉

夏の頃、よく使われる季語である。手もとの歳時記には「五月から七月頃、万緑を吹く風で、強い感じの風にいう」と説明されている。そういう一般的な季語を使いながらも、「歯を剝き鎌を研ぐ」と長吉らしい展開の仕方をして、わがものにしているのはさすが。嵐雪の「青嵐定まる時や苗の色」のようにはすんなりと「定め」てはいない。強く吹きつける青嵐に抗するように、この「父」は「歯」と「鎌」という鋭いものをつらねて向き合っているのだ。剥き出している「歯」が研がれる「鎌」のように、青嵐に敢然と対向しているような緊張感を生み出している。風が強く吹くほどに、「父」の表情は険しくなり、「鎌」はギラギラと研ぎあがっていくのだろう。デビュー時から異才を放って注目されてきた長吉は、俳句もたくさん作った。残念ながら先月十七日に急逝してしまった。生前の彼とかかわりのあったあれこれが思い出される。合掌。雑誌等に発表された俳句は、「因業集」として『業柱抱き』(1998)に収められ、のち『車谷長吉句集改訂増補版』(2005)に収められた。他に「雨だれに抜け歯うづめる五月闇」がある。(八木忠栄)


June 0262015

 芍薬の蕾のどれも明日ひらく

                           海野良子

薬はしなやかでやさしい姿を表す「綽約(しゃくやく)」に由来するともいわれ、美人のたとえである「立てば芍薬」はすらりと伸びた茎の先に花を付ける様子を重ねている。咲ききった満開の美しさもさることながら、「明日、咲きます」のささやきが聞こえるほどのほころびは艶然と微笑む唇を思わせ、やわらかなつぼみの隙間から幾重の花びらがほどかれるきざしに、詰まった襟元をゆるめるようななんともいえない色気を感じさせる。約束された満開という幸福を待つ、このうえない幸せの時間。芍薬はつぼみの頃から蜜をこぼし、虫たちを招くという。これもまた芍薬のあやしい魅力のひとつなのかもしれない。『時』(2015)所収。(土肥あき子)


June 0162015

 バス停の屋根は南瓜の花盛り

                           富川浩子

かにも初夏らしいが、ちょっと珍しい情景。微笑を浮かべる読者が多いだろう。バス停にグリーンのカーテンをかけて、乗客に涼を呼ぶ効果をねらったものかもしれない。だが、戦中戦後の一時期を知っている私などには、涼を呼ぶどころか暑苦しさしか迫ってこない。バス停の屋根どころか、当時は民家の屋根にまで南瓜が栽培されていた。むろん、食料不足を補うための庶民の智慧がそうさせたものである。そして、南瓜が熟れるころともなると、どこの家庭でも食事ごとにほとんど主食として南瓜が食卓に上がったものだった。来る日も来る日も南瓜ばかり。嘘みたいな話だが、人々の顔が黄色くなっていった。だから私より上の年代の人のなかには、いまだに南瓜を嫌う人が多い。同じ句を読んでも、感想は大いに異なる場合があるということです。『彩 円虹例句集』(2008)所載。(清水哲男)




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