合掌。車谷長吉君。振り返れば四十年以上のつきあいだった。(哲




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May 2052015

 夏場所やひかへぶとんの水あさぎ

                           久保田万太郎

催中の大相撲夏場所は、今日が11日目。今場所は誰が賜杯を手にするのだろうか? 先場所まで白鵬が六場所連続優勝を果たしてきた。ところが今場所、白鵬は意外にも初日に早くも逸ノ城に不覚をとった。さて、優勝の行方は? 力士が土俵下のひかえに入る前に、弟子が厚い座布団を担いで花道から運ぶ。座布団の夏場所にふさわしく涼しい水あさぎ色に、作者は注目し夏を感じている。二つ折りにした厚い座布団に、力士たちは腕を組んでドッカとすわる。一度あの座布団にすわってみたいものだといつも思う。暑い夏の館内の熱い声援と水あさぎの座布団、力士がきりりと結った髷の涼しさ、それらの取り合わせまでも感じさせてくれる。万太郎は相撲が好きでよく観戦したのだろう。私は家にいるかぎり、場所中はテレビ観戦しているのだが、仕切りの合間、背後に写る観客席のほうも気になる。今場所はこれまで林家ぺー、張本勲、三遊亭金時らの姿を見つけた。落語家は落語協会が買っているいい席で、交替で観戦している。万太郎のほかの句に「風鈴の舌ひらひらとまつりかな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1952015

 草笛を吹く弟の分も吹く

                           太田土男

笛はコツさえつかめばどんな葉でも音がするのだというが、一度として成功したためしがない。口笛さえ吹けないのだから当然といえば当然かもしれない。掲句では、幼い兄弟の様子とも思ったが、大人になってからの草笛と思い直した。ふと手に取った草の一片を唇に当て、昔通りの音が思いがけず出たとき、子供の頃の思い出がよみがえったのだろう。兄弟揃って吹いて歩いたなつかしい景色や、弟の背丈などがどっと押し寄せるように思い出される。今ここにいない弟の分を、もう一枚、草笛にして吹いてみる。きっとあの日と同じ苦いようなほこりっぽいような草の味が口中に広がっていることだろう。『花綵(はなづな)』(2015)所収。(土肥あき子)


May 1852015

 行く春について行きたる子もありし

                           矢島渚男

句の「子」は、赤ちゃんよりはもう少し大きい子だろう。作者の知っている子だが、そんなによく知っていたわけでもない。たぶん近所の子、あるいは友人か知人の子で、その死は伝聞によってもたらされたくらいの関係か。春の終り。生きとし生けるものの生命が盛んになる夏を待たずに逝った子のことを思って、作者の心はいわば春愁のように沈んでいる。しかし沈みながらも、作者は悼む気持ちをできるだけ相対化しようとしている。実際、子供というものは、習性と言ってよいほどに何にでもついていきたがる。だからこの子は、きっと春についていっちゃったんだと、そう思い決めることにしたのである。これまた、苦いユーモアにくるんで刻んだ心やさしい墓碑銘と言ってよい。『百済野』(2007)所収。(清水哲男)




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