台風一過。さわやかな気候になるかと思いきや、真夏日とはねえ。(哲




2015ソスN5ソスソス13ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

May 1352015

 新築の青葉がくれとなりにけり

                           泉 鏡花

である。山と言わず野と言わず、青葉が繁って目にしみるほどにムンムンとしている季節である。植物によって青葉の色彩に微妙なちがいがあるから、さまざまな青葉を味あうことができる。見晴らしのいい場所に少し前に新築された家(あるいは新築中でもよかろう)は、おそらく作者を注目させずにはおかない造りなのだろう。どんな家なのだろう? いずれにせよ、家の新築は見ていても気持ちがいいものだ。鏡花が注目する「新築」とは……読者の想像をいやがうえにもかき立ててやまない。つい先日までは、まるまる見えていたのに、夏らしくなって青葉がうっそうと繁り、せっかくの家を視界から隠してしまった。残念だが、夏だから致し方ない。とは言え、この場合、作者は青葉を恨んでいるわけではない。「やってくれたな!」と口惜しそうに、ニタリとしているのかもしれない。「新築」の姿もさることながら、いきいきと繁ってきた「青葉」もじつはうれしいのである。鏡花には他に「花火遠く木隠(こがくれ)の星見ゆるなり」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)


May 1252015

 初夏の木々それぞれの名の眩し

                           村上鞆彦

夏の日差しは、新緑を健やかに育み、木々は喜びに輝いているかのように光りを放つ。日に透けるような頼りない若葉たちも、日ごとに緑を深め、すっかりそれらしいかたちを得て、力強い影を落としている。掲句に触れ、街路樹に並ぶ初夏の木の名を確認しながら歩いてみた。鈴懸(すずかけ)、欅(けやき)、花水木(はなみずき)。鈴懸は鈴玉のような実をつけることから付いた名。秋には空にたくさんの鈴を降らせる。欅の「けや」は際立って美しいの意の「けやけし」に通じている。花水木は、根から水を吸い上げる力が強いことから水木。どの名も人間との深い付き合いから付けられたものだ。その名に胸を張るように木々を渡る風が薫る。『遅日の岸』(2015)所収。(土肥あき子)


May 1152015

 夕暮はたたみものして沙羅の花

                           矢島渚男

の「沙羅の花」は夏椿の別称であり、朝咲いて夕には散ってしまうことから、私たちのはかない心情とともに歌われてきた。冬の椿の花の命も短いけれど、万象が燃え立つ季節に咲く花だけに、夏椿のはかない命は際立つのである。句は、日常の感受の心のなかにふっと生まれ落ちる「一過性の気分」を巧みに捉えている。一日の終りの手作業は、いつものように取り込んだ洗濯物をたたむことなのだが、そのようなルーティンワークのなかで、たまさか言いようのない淡い感情の波に襲われることがある。たたみものをしながら、ふっと目をやった庭先に、沙羅の白い花がぼんやりと見えたのだろう。こういうときには、むしろ花の命の短さなどという観念は思いに入ってこないものである。ちらと目がとらえた花の「そのままのありよう」が、どことなく自分の現在のありようを抒情しているかのように思えたのだった。『翼の上に』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます