沖縄県民を置き去りにし全国民も無視にかかってくる権力とは。(哲




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April 3042015

 弔砲や地獄に蝶の降りつぐ朝

                           竹岡一郎

獄とは強い言葉である。一度「地獄」が句会の兼題になったことがあるがさっぱり出来なかった。現実との接点を見つけられなかったのだ。掲句は「破地獄弾」と題した章の中の一句。二十句に渡って地獄絵図を描き出している。空に響く弔砲は誰のためのものなのか、その音にとめどなく蝶が落下してくる、蝶は降りやまずやがては地を覆いつくすのだろう。「弔」の字型は人の屍を野に捨て、朽ちてから骨をおさめに行く。そのとき獣を追う弓を携えていったことに由来すると白川静の『字統』にある。人は人を弔うことで生をつないできたが、この弔砲は人類すべてが滅んでしまった朝に撃ちあげられる空砲に思える。『ふるさとのはつこひ』(2015)所収。(三宅やよい)


April 2942015

 子らや子ら子等が手をとる躑躅かな

                           良 寛

どもたちが群れて遊んでいるのだろう。「子らや子ら子等……」という呼びかけに、子どもが好きだった良寛の素直な心が感じられる。春の一日、おそらく一緒になって遊んでいるのだろう。子らと手をとりあって遊んでいるのだ。この「手」は子どもたちの手であり、良寛の「手」でもあるだろう。あたりには躑躅の赤い花が咲いている。子どもたちと躑躅と良寛とーー三者の取り合わせが微笑ましい春の日の情景をつくりだしている。子ども同士が手をとりあっているだけではなく、そこに良寛も加わっているのだ。良寛の父・以南は俳人だったが、その句に「いざや子等こらの手をとるつばなとる」がある。この句が良寛の頭のどこかにあったのかもしれない。子どもらとよく毬をついて遊んだ良寛には、「かすみ立つ長き春日を子どもらと手毬つきつつこの日くらしつ」など、子どもをうたった歌はいくつもあるけれど、おもしろいことに『良寛全集』に収められた俳句85句のなかで、子どもを詠んだ句は掲出した一句のみである。他の春の句に「春雨や静かになでる破(や)れふくべ」がある。大島花束編著『良寛全集』(1989)所収。(八木忠栄)


April 2842015

 春たけなは卵のなかの血流も

                           秦 夕美

けなわとはものごとのもっとも盛んになった頂点ともいえるとき。春のたけなわは光りに満ちあふれ、万象の命の健やかさに満ちる。卵もまた、ひしめく命そのもの。そこに脈打つ血流も春の高まりとともに今まさに生まれんと息づいている。固い殻と親鳥に守られた卵の世界と比べ、外の世界は危険がいっぱいにも関わらず、小さな命は一刻も早く外に出ようとせっせと育つ。日に日に増す春の深まりとともに、かわいらしい鳴き声ももうすぐ聞こえてくるに違いない。〈うらゝけし一枚たりぬ魔除札〉〈朝川やあうらに春のひしめきて〉『五情』(2015)所収。(土肥あき子)




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