市長選市議会議員選挙。公報を読んでみたが、争点がわからない。(哲




2015ソスN4ソスソス26ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2642015

 いづかたも水行く途中春の暮

                           永田耕衣

は、水行く季節でもあったのですね。雪解けの水は、山から谷へ、谷から里へ流れて行きます。樹木、草花、農作物は、根から水を吸います。昆虫も魚も鳥も動物たちも、水行く季節になると捕食と生殖活動を活発化させていき、体液の循環も盛んになるでしょう。動植物を支えている大気から地表、地下水まで、水行く水量は増していきます。それは、暖かくなってきたからです。温度が上がると水の分子の運動も活発になる。当たり前ですね。そんな暮春の候の句ですが、ここからは、二つの見解が可能です。一つ目は、中七で切って読む場合です。森羅万象の活動は、人も含めて全て「途中」なのだという見解で、水行きには終点がないということです。水は循環している から常に「途中」です。 二つ目は、中七で切らない場合です。そうすると、「春の暮」が句の主眼になってきて、冬を過ぎて暮春になったから、水行きは活発なんだという見解になります。どちらを選ぶかは、各人の好みになるでしょうが、句から驚きを得られるのは、前者です。なぜなら、無常観を「途中」という俗語で言い表しているからです。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


April 2542015

 もつれつゝとけつゝ春の雨の糸

                           鈴木花蓑

つれてとける糸、とはいかにも春の雨らしく美しいが、今頃の雨は遠い記憶を呼び起こす。確か中学二年の春、理科氓フ授業で自然落下の公式を教わったその日も、先生の声を遠く聞きながらぼんやり雨の窓を見ていたのだがふと、雨の速さってどのくらいなんだろう、と考えた。帰宅して、雲の高さから習った公式で雨が地上に着くまでの秒数を計算してそこから時速を計算すると、確か九百キロ近くに。うわ大変、傘に穴が開く・・・しかし窓の外の雨は静かにもつれてとけていたのだった。翌日、先生が空気抵抗の話と共に実験を見せて下さりほっと納得したのだが、晩春の雨の記憶は未だマッハの衝撃と共にある。『ホトトギス 新歳時記』(2010・三省堂)所載。(今井肖子)


April 2442015

 九官鳥同士は無口うららけし

                           望月 周

官鳥は人や動物の声真似、鳴き真似が上手で音程や音色だけでなく抑揚までも真似する。この習性を利用し人は言葉を教えて飼い慣らす。日頃から色々と話しかけて根気よく付き合ってゆく。鳥と人間の相棒関係が頻繁な言葉の話し掛けによって構築されてゆく。真偽は定かでないが、飼主であった九官さんの名を発生するので九官鳥と名付けられたという。そんな九官鳥もお相手が同類の九官鳥となると無口なってしまうとか。真似事ばかりして本来の鳥語を忘れてしまったか。明るい春の陽を浴びて、のんびりと長閑であるのもいいものだ。<流灯の白蛾を連れてゆきにけり><流れ星贈らんと連れ出しにけり><一本の冬木をめがけ夜の明くる>など。『白月』(2014)所収。(藤嶋 務)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます