ポール・マッカートニー来日。これが最後になるんだろうなあ。(哲




2015ソスN4ソスソス21ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2142015

 土を出てでんぐり返る春の水

                           森島裕雄

元の歳時記によると「春の水」とは、豊かであることが本意であるとされる。水が「でんぐり返る」ことで、勢いよく豊富な水量を思わせ、また春らしい瑞々しさを感じさせる。それはまるで、生まれたばかりの赤ん坊が誕生してすぐ大きな泣き声をあげるように、暗い地中を這っていた水が、春の日差しに触れたことで、喜びにもんどりうっているようにも見えるのだ。水が流れとして誕生する瞬間に立ち会っている感動に、作者もまた胸をおどらせながら春の水面を見つめているのだろう。〈筍ご飯涙のやうな味がして〉〈立ち乗りの少年入道雲に入る〉『みどり書房』(2015)所収。(土肥あき子)


April 2042015

 待ちどほしきことなくなりぬ春の闇

                           矢島渚男

田夕暮のこの歌「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」は、青春時代の愛唱歌だった。この句を読んで思い出した。結婚は人生上での大きな「待ちどほしきこと」であり、歌に込められた歌人の待ち遠しい思いは、十代の少年にもよく理解できたのだった。若い間の待ち遠しいことどもは、結婚、あるいは進学や就職などのように、多く社会制度に関連しており、そのシステムに参加することで実現されてゆく。子供のころの運動会や遠足などについても同様である。したがって、実現の度合いに満足できるかどうかは別にして、たいていの「待ちどほしきこと」は、待っていればそのうちに実現するものだと言ってよいだろう。一見社会的システムへの参加とは無関係のような、たとえば創作意欲の実現などについても、よく考えてみれば、これまた社会制度と無関係ではあり得ないことがわかる。ところがある程度の年齢を過ぎると、当人の存在そのものが物理的に社会システムのあれこれから外れていくから、句のようなことが起きてくる。しかも、そのことを受けとめる気持ちは淡々としたものなのだ。この気持ちのありようが、「春の闇」にしっくりと溶け込んでいる。『延年』所収。(清水哲男)


April 1942015

 春星のめぐる夜空を時計とす

                           末永朱胤

時記の上では晩春となりましたが、掲句は、冬の名残のある初春の句でしょう。凍てついた夜空には、春の星座がくっきりと見えていて、しばらく佇んでいると、星座はゆっくりと動いているような気がします。贅沢な時計です。地球上で、一番大きな時計です。そして、デザインも美しい。空は深い色あいで、数多の星々が幾何的に結びついて、春の夜空をデザインしています。春星がめぐる天体の運行が時の経過を告げ、「時計とす」に、作者の意志が表れています。それは、高級腕時計をはめ て社会的な時間に生きることよりも、ときに、宇宙的な時間に身を委ねて、則天去私の境地に遊ばんとする意志です。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(小笠原高志)




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