試食するたびに「んーっ」と唸る。したり顔もだがこの声もイヤだ。(哲




2015ソスN4ソスソス20ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 2042015

 待ちどほしきことなくなりぬ春の闇

                           矢島渚男

田夕暮のこの歌「木に花咲き君わが妻とならむ日の四月なかなか遠くもあるかな」は、青春時代の愛唱歌だった。この句を読んで思い出した。結婚は人生上での大きな「待ちどほしきこと」であり、歌に込められた歌人の待ち遠しい思いは、十代の少年にもよく理解できたのだった。若い間の待ち遠しいことどもは、結婚、あるいは進学や就職などのように、多く社会制度に関連しており、そのシステムに参加することで実現されてゆく。子供のころの運動会や遠足などについても同様である。したがって、実現の度合いに満足できるかどうかは別にして、たいていの「待ちどほしきこと」は、待っていればそのうちに実現するものだと言ってよいだろう。一見社会的システムへの参加とは無関係のような、たとえば創作意欲の実現などについても、よく考えてみれば、これまた社会制度と無関係ではあり得ないことがわかる。ところがある程度の年齢を過ぎると、当人の存在そのものが物理的に社会システムのあれこれから外れていくから、句のようなことが起きてくる。しかも、そのことを受けとめる気持ちは淡々としたものなのだ。この気持ちのありようが、「春の闇」にしっくりと溶け込んでいる。『延年』所収。(清水哲男)


April 1942015

 春星のめぐる夜空を時計とす

                           末永朱胤

時記の上では晩春となりましたが、掲句は、冬の名残のある初春の句でしょう。凍てついた夜空には、春の星座がくっきりと見えていて、しばらく佇んでいると、星座はゆっくりと動いているような気がします。贅沢な時計です。地球上で、一番大きな時計です。そして、デザインも美しい。空は深い色あいで、数多の星々が幾何的に結びついて、春の夜空をデザインしています。春星がめぐる天体の運行が時の経過を告げ、「時計とす」に、作者の意志が表れています。それは、高級腕時計をはめ て社会的な時間に生きることよりも、ときに、宇宙的な時間に身を委ねて、則天去私の境地に遊ばんとする意志です。俳誌「ににん」(2015年春号)所載。(小笠原高志)


April 1842015

 鶯のしきりに鳴いて風呂ぬるし

                           本田あふひ

の句を引いた『本田あふひ句集』(1941)は遺句集。手ざわりの佳い和紙の表紙で、大正五年から六十三歳で亡くなった昭和十四年までの作、百三十句余りが収められている。虚子の序文には「あふひさんが、一度ホトトギスの巻頭になりたいものだな、といはれたときに、私は<屠蘇つげよ菊の御紋のうかむまで >といふあなたの句がある。あなたは其一句の持主であるといふことが何よりも誇ではありませんか、と言つたことがある」というエピソードが語られている。格調高くおおらかな作風を持つ、女性俳句開花期の俳人の一人と言われているが、ふと呟いたような掲出句はどこかとぼけた味わいと人間味があって、思わず見開きの本人の写真を見返してしまった。鶯の声はきれいだったけれどちょっとお風呂はぬるすぎたのよ、でもまあゆっくり浸かってその声を楽しむにはちょうどよかったかしらね。くりっと大きい目でこちらを見ているあふひが、そんな風に言っているようにも思えてくる。(今井肖子)




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