阪神は勝ったし陽気は良いし熟睡したし…。キノウとは逆な気分。(哲




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April 1742015

 河原鶸天地返しの田に降りる

                           嶋崎茂子

原鶸は山林や田、河原などで群れをなしている雀に似た鳥で、飛ぶ時の鮮明な黄色で鶸だと分かる。双眼鏡で見るとピンクの太いくちばしと翼の太く黄色いしま模様が見える。見晴しのよい葦先にとまりキリキリ、コロロと鳴いたりジュイーンとさえずったりする。農事では厳寒期に土を氷雪にさらして病害虫を殺すために「天地返し」という作業がなされる。そんな労苦も終わった頃に春の兆しがやって来る。鶸の訪れもその一つである。今百羽にも及ぼうかという河原鶸の群れが一斉に大地に舞い降りてきた。春到来したり。その他<御慶いふ小さな町の小さな駅><夏草の匂ひいのちのにほひかな><冬鴎飛ぶといふこと繰り返す>などあり。『ひたすら』(2010年)所収。(藤嶋 務)


April 1642015

 春塵や毛沢東のブロマイド

                           柳生正名

ロマイド懐かしい言葉だ。簡単に言えば、映画スターや歌手の写真。携帯で写真を何枚でもとれる今と違って、スターが雲の上の人だった時代には貴重なものだったろう。ファンをじっと見つめる視線の置きかたやポーズなど、肖像写真と言われるだけあって照れくさくなるほどカッコつけたものが多いけど、ファンにとっては貴重なものだったろう。時代がかった言葉だけど、今もプロマイドってあるのだろうか。毛沢東と言えば天安門にある毛沢東の肖像画を思う。毛沢東は語録とともに文化大革命の象徴的存在だったけど、現在、彼を信奉する人はどのぐらいいるのだろう。時代がかって色あせた毛沢東のブロマイドにうっすらとつく春の塵。同じく砂塵ではあるが黄沙ではなく、「春塵」としたことで、空間的、時間的な距離が強調されているように思う。『風媒』(2014)所収。(三宅やよい)


April 1542015

 花冷えを分けて近づく霊柩車

                           嵩 文彦

の開花はもちろん年によって一定ではない。今年、東京では3月末に満開になった。私は4月2日に好天に恵まれて、地元の船橋で満開の花見をした。また市川の公園で、親しい友人たちと30年以上毎年お花見をやってきたが、今年は高齢や何やかやあって男4人しか集まらず、上野の飲み屋で昼酒を飲んで、お山の葉桜をさらりとひやかして解散となりそう。さて、来年はどうなりますることやらーー。「花冷え」は、桜が咲くころに決まってやってくる寒さのことである。確かにそんな日があるし、夜桜見物は寒くてストーブを持ち込んで、ということも珍しくない。それでも桜は桜、春は春。誰の気持ちも浮き浮きする。しかし、一方で人の死は季節を選ぶことなく待ったなしである。霊柩車は花冷えのなかを走ることも、満開の花に見送られて走ることもある。文彦には詩集も詩画集も何冊かあるけれど、句集も『春の天文』から、これが4冊目である。「表現者は個に徹し、個を深く追求してゆくべきだ」「心安く自然と和合することなく」という句集のあとがきが心に残る。他の句に「隙間ある頭蓋に残る花月夜」がある。『天路歴程2014』(2014)所収。(八木忠栄)




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