改装工事。部屋が暗いのはまだしも、ペンキのにおいには辟易。(哲




2015ソスN4ソスソス4ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0442015

 ニセモノのあつけらかんと春麗

                           岩田暁子

物とニセモノは違うのだな、とこの句を読んで思った。偽物、と書くとそこには、騙そうとする悪意が見えるが、ニセモノ、と書かれるとまさに、あっけらかん、という言葉がぴったりくるようななんちゃって感が生まれる。それは、本物と見紛うほどよくできているかどうかとは別で、思わず失笑してしまう偽キャラクター人形などは、騙すという意識さえない図々しい偽物だろう。この句のニセモノの正体はわからないが、作者はその明らかなニセモノぶりを楽しんでいる。「うららか、はそれだけで春なので、春うらら、と重ねるのはあまり感心しない」と言われることもあるのだが、この句の場合は、春麗、と重ねた文字が大らかにニセモノにも光をあてて、まさに春爛漫という印象だ。『花文字』(2014)所収。(今井肖子)


April 0342015

 吉野よき人ら起きよと百千鳥

                           川崎展宏

野は佳いな・みなさん目を覚まして見てごらんと・百千鳥が鳴いて知らせた、と言うところか。吉野は奈良県の吉野山、桜の名所で知られている。いま吉野山は霞か雲かと見紛う桜爛漫の季節である。そんな中を百とも千とも沢山の鳥たちが囀っている。喜びに満ちた囀りの只中に身を置けば誰でも吉野を讃歌したくなる。時は今、鳥も人も一様に桜に魅せられて寝ているどころではない。他に<桃畠へ帽子を忘れきて遠し><「大和」よりヨモツヒラサカスミレサク><壊れやすきもののはじめの桜貝>など。「俳壇」(2013年4月号)所載。(藤嶋 務)


April 0242015

 ほぞの緒をくらきに仕舞ひ落花踏む

                           吉田汀史

ぞの緒はへその緒。生まれてすぐ臍帯を切断するが、新生児のおなかについた臍の緒が乾いてぽろっと落ちたものを小さな桐の箱に入れて退院時に渡してくれる。多くはそのまま母親の箪笥の奥に仕舞われて、ふたを開けられないまま何十年も忘れ去られてしまうのだろう。胎内で母親から栄養を送り込まれるのに大切な役割をしていたものが、黒く乾いて干からびてゆく。掲句は「くらきに仕舞ひ」と箱に入れられた直後から次にその臍の緒の主である子どもが自分の臍の緒を再び手に取るまでの時間が畳み込まれているようだ。その時間は臍の緒を断ってから母と子が別々な生を歩み続けてきた時間でもある。地面に散り敷く落花が生れ落ちてから今までの長いようであっけない時間を凝縮しているように思える。『汀史虚實』(2006)所収。(三宅やよい)




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