文藝家協会から膝掛けが送られてきた。長寿会員だと。がっくり。(哲




2015ソスN4ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0242015

 ほぞの緒をくらきに仕舞ひ落花踏む

                           吉田汀史

ぞの緒はへその緒。生まれてすぐ臍帯を切断するが、新生児のおなかについた臍の緒が乾いてぽろっと落ちたものを小さな桐の箱に入れて退院時に渡してくれる。多くはそのまま母親の箪笥の奥に仕舞われて、ふたを開けられないまま何十年も忘れ去られてしまうのだろう。胎内で母親から栄養を送り込まれるのに大切な役割をしていたものが、黒く乾いて干からびてゆく。掲句は「くらきに仕舞ひ」と箱に入れられた直後から次にその臍の緒の主である子どもが自分の臍の緒を再び手に取るまでの時間が畳み込まれているようだ。その時間は臍の緒を断ってから母と子が別々な生を歩み続けてきた時間でもある。地面に散り敷く落花が生れ落ちてから今までの長いようであっけない時間を凝縮しているように思える。『汀史虚實』(2006)所収。(三宅やよい)


April 0142015

 あの人もこの人もいて春の夢

                           矢崎泰久

もが若いころに見る夢は果てしなく拡がりをもった、まさに「ユメのような夢」が多いのではあるまいか。大いにユメ見るべし、である。しかし、齢を重ねるにしたがって、見る夢も当然ちがってくる。「あの人もこの人も」のなかには、もちろん生きている人もいるだろうけれど、生前交流があって、黄泉に旅立つ「あの人・この人」がどうしても年々歳々増えてくる。それゆえ現実よりも、春の夢のなかに登場する人たちとの交流のほうが賑やかになってくることになる。敬愛する先人や良友悪友たちが登場する夢も、春なればこそ懐かしく忘れがたいものとなる。泰久は「話の特集」の名編集長として、各界の錚々たる人たちとの交遊があった。そうした人たちが集まる「話の特集句会」は、1969年から今日に到るまでつづいているユニークな句会である。ちなみに、その句会では短冊が賞品。賞金は天:700円、地:500円、人:300円。いいなあ。一昨年春の句会で、三人が掲出句を〈天〉に抜いたという。泰久の句には、他に「飛び魚は音符散りばめ海を舞ふ」など多数ある。俳号は華得。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)


March 3132015

 日をひと日ひと日集めて猫柳

                           畠 梅乃

れほど行きつ戻りつした春の日差しもすっかり頼もしく、もう後戻りすることはないと信じられる力強さとなった。猫柳の花穂は絹のようになめらかさを持つ銀色の美しい毛で覆われる。その名は猫の尾に似ているところから付けられたというが、手ざわりは爪先あたりにそっくりで、猫を失った年など、何度も何度も撫でては思いを馳せていた。猫柳はまだ春の浅い頃に紅色の殻を割り、冷たい風にふるえるように身をさらし、春の日を丹念に拾いながらふっくらと育っていく。春の植物は美しいだけではなく、余寒の日々をけなげに乗り越えてきた姿を思いやることで、いっそう胸が熱くなる。掲句の「ひと日ひと日」にもその感動が表れている。〈竹皮を脱いできれいな背骨かな〉〈水平は傾きやすし赤とんぼ〉『血脈』(2015)所収。(土肥あき子)




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