四月になりました。平安な春の日がつづきますように。(哲




2015ソスN4ソスソス1ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

April 0142015

 あの人もこの人もいて春の夢

                           矢崎泰久

もが若いころに見る夢は果てしなく拡がりをもった、まさに「ユメのような夢」が多いのではあるまいか。大いにユメ見るべし、である。しかし、齢を重ねるにしたがって、見る夢も当然ちがってくる。「あの人もこの人も」のなかには、もちろん生きている人もいるだろうけれど、生前交流があって、黄泉に旅立つ「あの人・この人」がどうしても年々歳々増えてくる。それゆえ現実よりも、春の夢のなかに登場する人たちとの交流のほうが賑やかになってくることになる。敬愛する先人や良友悪友たちが登場する夢も、春なればこそ懐かしく忘れがたいものとなる。泰久は「話の特集」の名編集長として、各界の錚々たる人たちとの交遊があった。そうした人たちが集まる「話の特集句会」は、1969年から今日に到るまでつづいているユニークな句会である。ちなみに、その句会では短冊が賞品。賞金は天:700円、地:500円、人:300円。いいなあ。一昨年春の句会で、三人が掲出句を〈天〉に抜いたという。泰久の句には、他に「飛び魚は音符散りばめ海を舞ふ」など多数ある。俳号は華得。『句々快々』(2014)所載。(八木忠栄)


March 3132015

 日をひと日ひと日集めて猫柳

                           畠 梅乃

れほど行きつ戻りつした春の日差しもすっかり頼もしく、もう後戻りすることはないと信じられる力強さとなった。猫柳の花穂は絹のようになめらかさを持つ銀色の美しい毛で覆われる。その名は猫の尾に似ているところから付けられたというが、手ざわりは爪先あたりにそっくりで、猫を失った年など、何度も何度も撫でては思いを馳せていた。猫柳はまだ春の浅い頃に紅色の殻を割り、冷たい風にふるえるように身をさらし、春の日を丹念に拾いながらふっくらと育っていく。春の植物は美しいだけではなく、余寒の日々をけなげに乗り越えてきた姿を思いやることで、いっそう胸が熱くなる。掲句の「ひと日ひと日」にもその感動が表れている。〈竹皮を脱いできれいな背骨かな〉〈水平は傾きやすし赤とんぼ〉『血脈』(2015)所収。(土肥あき子)


March 3032015

 曇り日のはてのぬか雨猫柳

                           矢島渚男

かくて、しかもやわらかく降る雨のことを、昔から誰言うとなく「ぬか雨」あるいは「小ぬか雨」と言いならわしてきた。「米ぬか」から来ている。細かくて、やわらかい雨粒。戦後すぐに流行した歌謡曲に、渡辺はま子の歌った「雨のオランダ坂」がある。♪「小ぬか雨降る 港の町の 青いガス灯の オランダ坂で 泣いて別れた マドロスさんは……」作詞は菊田一夫だ。小学生だった私は、この歌で「小ぬか雨」を覚えた。歌の意味はわからなかったけれど、子供心にも「小ぬか雨って、なんて巧い言い方なんだろう」と感心した覚えがある。農家の子だったので、米ぬかをよく知っていたせいもあるだろう。オランダ坂ならぬ河畔に立っていた作者は、猫柳に降る雨を迷いなく「ぬか雨」と表現している。それほどに、この雨がやわらかく作者の心をも濡らしたということである。『采薇』所収。(清水哲男)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます