March 282015
春の雲けもののかたちして笑う
対馬康子
これを書いている今日は朝からぼんやりと春らしいが、空は霞んで形のある雲は見当たらない。雲は、春まだ浅い頃はくっきりとした二月の青空にまさに水蒸気のかたまりらしい白を光らせているが、やがていわゆる春の雲になってくる。ゆっくり形を変える雲を目で追いながらぼーっとするというのはこの上なく贅沢な時間だが、この句にはどこか淋しさを感じてしまう。それは、雲が笑っているかのように感じる作者の心の中にある漠とした淋しさであり、読み手である自分自身の淋しさでもあるのだろう。他に<逃水も死もまたゆがみたる円周 ><火のごとく抱かれよ花のごとくにも >。『竟鳴』(2014)所収。(今井肖子)
March 272015
黄鳥をあえかな朝に啼かせをり
坊城俊樹
黄鳥は黄色の鳥でコウライウグイスの別名、一般的には鶯のこと。「浮気うぐいす梅をばじらしわざと隣の桃に咲く」古い都々逸ではないがどこか色気を感じる鳥である。そんな鶯が鳴いて、かよわくもなよなよとした気持ちで朝を迎える。昨夜の猛ったもろもろの残滓を抱いて、もう暫くと朝寝を楽しむ。誰にでもある青春への慕情。あの頃へ戻りたい、でも戻れない。句日誌の如くに<ももいろの舌が嘘つく春の朝><ゴールデン街より電線の秋の空><嘘も厭さよならも厭ひぐらしも>など青き円熟の四半世紀を振り返る。『坊城俊樹句集』(2014)所収。(藤嶋 務)
March 262015
携帯電話は悲しき玩具春の虹
守屋明俊
電車で通勤する毎日、対面の七人掛けの席を見るとスマートフォンをのぞく人ばかりで本を読んだり、新聞を読んだりする人はほとんどいない。かくいう私もタブレットと二つ折りの携帯電話を持ち歩き四角い画面と向き合っているわけで、考えれば携帯電話やパソコンのなかった時代と生活実態が全く違っている。SNSで日々やりとりをする時間は限りなく短縮され、ためいきや愚痴に過ぎないものがとめどなく流されてゆく。春の虹は夢のようにはかなく淡い存在、歌のいろいろを「悲しき玩具」と言った啄木と似た心持ちが携帯電話を握り占める心にはあるのかもしれない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)
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