プロ野球開幕。待ってましたっ。これで秋まで楽しめる。(哲




2015ソスN3ソスソス27ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 2732015

 黄鳥をあえかな朝に啼かせをり

                           坊城俊樹

鳥は黄色の鳥でコウライウグイスの別名、一般的には鶯のこと。「浮気うぐいす梅をばじらしわざと隣の桃に咲く」古い都々逸ではないがどこか色気を感じる鳥である。そんな鶯が鳴いて、かよわくもなよなよとした気持ちで朝を迎える。昨夜の猛ったもろもろの残滓を抱いて、もう暫くと朝寝を楽しむ。誰にでもある青春への慕情。あの頃へ戻りたい、でも戻れない。句日誌の如くに<ももいろの舌が嘘つく春の朝><ゴールデン街より電線の秋の空><嘘も厭さよならも厭ひぐらしも>など青き円熟の四半世紀を振り返る。『坊城俊樹句集』(2014)所収。(藤嶋 務)


March 2632015

 携帯電話は悲しき玩具春の虹

                           守屋明俊

車で通勤する毎日、対面の七人掛けの席を見るとスマートフォンをのぞく人ばかりで本を読んだり、新聞を読んだりする人はほとんどいない。かくいう私もタブレットと二つ折りの携帯電話を持ち歩き四角い画面と向き合っているわけで、考えれば携帯電話やパソコンのなかった時代と生活実態が全く違っている。SNSで日々やりとりをする時間は限りなく短縮され、ためいきや愚痴に過ぎないものがとめどなく流されてゆく。春の虹は夢のようにはかなく淡い存在、歌のいろいろを「悲しき玩具」と言った啄木と似た心持ちが携帯電話を握り占める心にはあるのかもしれない。『守屋明俊句集』(2014)所収。(三宅やよい)


March 2532015

 海凪ぎて春の砂丘に叉銃せり

                           池波正太郎

や「叉銃」(さじゅう)などという言葉を理解できる人は少ないだろう。兵士が休憩するときに、三梃の銃を交叉させて立てておくことである。「海凪ぎて春の砂丘」だから、およそ物騒な「銃」とは遠い響きをあたりにこぼして、しばしのんびりとした砂丘の光景が見えてくる。正太郎は兵隊で米子にいた若い頃、短歌や俳句をかなり作ったそうだから、鳥取の砂丘あたりでの軍事訓練の際のことを詠んだものと思われる。叉銃して、しばし砂丘に寝転がって休んでいる兵士たちが、点々と見えてくるようだ。訓練ならばこその図である。なかには、故郷の穏やかな海を思い出している兵士もいるのだろう。砂丘に迫る日本海でさえ凪いで、しばし春にまどろんでいるのかもしれない。「凪ぎ」「春」と「銃」の取り合わせが妙。正太郎晩年の傑作「剣客商売」などには、特に俳句の心が生かされていると大崎紀夫は書いている。掲出句は21歳のときの作で、18歳のときの句に「誰人が手向けし菊や地蔵尊」がある。大崎紀夫『地図と風』(2014)所載。(八木忠栄)




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