春はセンバツから。今日開幕。松山商業は82年ぶりの出場。(哲




2015N321句(前日までの二句を含む)

March 2132015

 うつそりやお彼岸だけの傭ひ所化

                           田中田士英

岸中日でもあることだしと『新歳時記 虚子編』(1951・三省堂)をぱらぱらと見ていたらこの句があったが、一読して意味がよくわからない。まず、うっそり。調べると、ぼんやり、のっそり、という意味の副詞、うっかりしている様、人、といった名詞、形容動詞とある。次に、所化(しょけ)、これは修行僧のことらしい。つまりは、お彼岸の忙しい時に駈りだされている修行中のお坊さんが、忙しさのあまりかまだ修行が足りないからか、どうもぼんやりと頼りなく心ここにあらずのような感じがする、あるいはミスを連発してやれやれ、といったところか。作者は明治八年生まれの小学校教師というから、かなり厳格であったと思われ、うつそりや、の切れに、喝、の文字がにじみ出ている。(今井肖子)


March 2032015

 木漏日や雉子鳴く方へあゆみゆく

                           宮本郁江

太郎の岡山でなくとも日本中の河川敷きや藪廻りのどこにでも居る。まして農家の田畑の廻りでは今でも普通にみられる。小生の柏地区の利根川、江戸川ではよく遭遇する。ただ老眼の小生にはカラスっぽく見えるのだがバードウオッチのニコンのレンズを通せば立派に識別できる。早春の妻恋ひどきになれば人目憚らず鳴きしきるのである。木漏れ日の中カラスと見紛えていた旅人は「おお」とその方角へ歩み寄ってゆく。雉はケンケンと鳴く。<馬小屋に馬の表札神無月><人気なき午後の鞦韆風がこぐ><病む人に日曜はなく秋桜>。『馬の表札』(2014)所収。(藤嶋 務)


March 1932015

 本名は知らず付き合ふすみれ草

                           森泉理文

会をはじめとする俳句の集まりは来るものは拒まず、去る者は追わずが原則。俳号を知っていても、本名や仕事はもちろん私生活もわからないことも多い。句会という場を通じて句を読みあう仲で、10年以上毎月顔を合わしていながらに何も知らないままいつの間にか付き合いが途絶えることも珍しいことではない。淡い付き合いだけど句を取り合う間に相手の感性の在りどころも考え方も自ずとわかってくる。そんな相手と顔を合わすのはトレッキングやハイキングでひっそりと咲くすみれ草を足元に見つけた気持ちに似ているのかも。芭蕉の「山路来て何やらゆかしすみれ草」の心持にも通じる。道のべに咲くこの花のように目立たなくて、かそけき付き合いかもしれないけど大事な付き合い、本名を知らないままふと気づけば会うこともなくなった。それもまた心にしみるものだ。『春風』(2014)所収。(三宅やよい)




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