北陸新幹線開業。金沢には行きたいけれど、腰の調子がこれではね。(哲




2015ソスN3ソスソス15ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1532015

 うなり落つ蜂や大地を怒り這ふ

                           高浜虚子

事でよく訪れる長野県の人々は、蜂と密接な暮らしをしています。森を歩けば「蜂を保護しています。近寄らないでください」の立て看を見かけます。高校には養蜂部があり、秋になると市場では蜂の巣が売られていて、蜂の子が羽化してブンブン飛ぶのを見かけます。蜂蜜の味がする蜂の子の缶詰も売られていて、長野特有の食文化が生きづいています。一方で、花が咲き始める頃になると、家の軒下では蜂が巣作りを始めます。蜜蜂ならば歓迎するのですが、スズメバチが巣を作り 始めたら大きくなる前に退治しなくてはなりません。句集では、掲句の前に「巣の中に蜂のかぶとの動く見ゆ」があり、連作です。(昭和二年三月十七日の作)。「かぶと」と見立てるところに蜂に対する身構えがあります。蜂蜜は、このうえなく甘い味をもたらしてくれるけれど、刺されたことのある身は、生涯その一撃を忘れることができません。私も小学六年の時、蜂の巣箱を襲撃した後、自転車をこいで逃げても逃げても追いかけられて、頭皮を突き刺された痛みを恐怖とともに覚えています。多かれ少なかれこのような経験は皆もっていて、蜂をモチーフに句作する場合も畏怖の念をともなうことになるのでしょう。掲句は、上五と下五で動詞を二つずつ使用して、それらが対称的に配置されています。「うなり落つ」は、羽ばたく音の激しさと落下をやや客観的に描写しているようなのに対して、「怒り這ふ」は、主観を含んで擬人化されています。ただし、その擬人化は比喩というよりも、作者の身から率直に出てくる表現で、蜂は、蝿や蚊とは違った「怒り」の情念を持てる種として尊重しているように思われます。また、中七では「蜂や」で切ることによって、一匹の蜂と「大地」という言葉を同じスケールの中で受けとめることを可能にしており、蜂の最期を広大な空間における一つの出来事としてその様態を注視しています。「うなり、怒り」は、雷神のようであり、「落つ、這ふ」は、落ち武者のようです。『虚子五句集』(岩波文庫・1996)所収。(小笠原高志)


March 1432015

 花菜漬行つてみたきはぽるとがる

                           矢野景一

一雄が見た夕日を見にポルトガルに行きたい。国文学専攻の友人の一言でポルトガルへ、二十年近く前のことだ。サンタクルスにあるという「落日を拾ひに行かむ海の果」の石碑の記憶は乏しいが、最西端の岬で見た夕日は印象深い。掲出句、作者は花菜漬の明るい緑と小さな黄に春の訪れを感じて旅心を誘われたのだろう。ほのかな苦味を楽しみながらポルトガルに思い至ったのは、前出の友人のように学生時代からの思いがあったのか、それともふと思いついたのか。ヨーロッパ旅行の目的地として決してメジャーとは言えないポルトガルだからこその味わいがあり、つぶやいた時の音と同様、ぽるとがる、の文字がやわらかく春らしい。(2014)『游目』所収。(今井肖子)


March 1332015

 数へてはまた数へけり帰る鴨

                           牧野洋子

に渡ってきた鴨類が春には列をなして帰ってゆく。冬鳥は主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、各池沼に分散して冬を過ごす。冬が終わると再び繁殖のために北の国に帰ってゆく。小さな群れが次第に数を拡大させつつ大群となって帰って行く。さてこの帰る鴨の隊列を空に見るに数えるのはかなり厄介である。目の子で百羽単位で何単位まで数えられるだろうか。まだ水面に散っている時でさえ、どれも同し顔でくるくると泳がれては中々数えにくいものである。とはいえ興に乗ってしまうと数える事を止められない。そんなこんなの季節もやがて移ろってゆく。再び春の気配と共に池沼に羽ばたきを繰り返し、いざ時が来ると飛び立ってゆく。後には留鳥のカルガモが残るのみとなる。他に<郭公やフランスパンの棒立ちに><雁渡る砂漠の砂は瓶の中><冬の雁パンドラの箱開けてみよ>などあり。『句集・蝶の横顔』(2014)所収。(藤嶋 務)




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