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March 1432015

 花菜漬行つてみたきはぽるとがる

                           矢野景一

一雄が見た夕日を見にポルトガルに行きたい。国文学専攻の友人の一言でポルトガルへ、二十年近く前のことだ。サンタクルスにあるという「落日を拾ひに行かむ海の果」の石碑の記憶は乏しいが、最西端の岬で見た夕日は印象深い。掲出句、作者は花菜漬の明るい緑と小さな黄に春の訪れを感じて旅心を誘われたのだろう。ほのかな苦味を楽しみながらポルトガルに思い至ったのは、前出の友人のように学生時代からの思いがあったのか、それともふと思いついたのか。ヨーロッパ旅行の目的地として決してメジャーとは言えないポルトガルだからこその味わいがあり、つぶやいた時の音と同様、ぽるとがる、の文字がやわらかく春らしい。(2014)『游目』所収。(今井肖子)


March 1332015

 数へてはまた数へけり帰る鴨

                           牧野洋子

に渡ってきた鴨類が春には列をなして帰ってゆく。冬鳥は主として越冬のために日本より北の国から渡ってきて、各池沼に分散して冬を過ごす。冬が終わると再び繁殖のために北の国に帰ってゆく。小さな群れが次第に数を拡大させつつ大群となって帰って行く。さてこの帰る鴨の隊列を空に見るに数えるのはかなり厄介である。目の子で百羽単位で何単位まで数えられるだろうか。まだ水面に散っている時でさえ、どれも同し顔でくるくると泳がれては中々数えにくいものである。とはいえ興に乗ってしまうと数える事を止められない。そんなこんなの季節もやがて移ろってゆく。再び春の気配と共に池沼に羽ばたきを繰り返し、いざ時が来ると飛び立ってゆく。後には留鳥のカルガモが残るのみとなる。他に<郭公やフランスパンの棒立ちに><雁渡る砂漠の砂は瓶の中><冬の雁パンドラの箱開けてみよ>などあり。『句集・蝶の横顔』(2014)所収。(藤嶋 務)


March 1232015

 すかんぽと半鐘の村であった

                           酒井弘司

かんぽは野原、土手などに生え「酸葉」「すいすい」等とも呼ばれる。と歳時記にある。写真をじっと見てもどんな植物かわからず、もちろんすかんぽを噛み噛み学校へ行ったこともない。都会暮らしで漫然と日々を過ごしてしまったので植物にまつわる思い出がないのが殺風景でさみしい。さて、掲載句は空を背景に火の見櫓に吊るされた半鐘とすかんぽが主役であるが、それ以外目立ったものが何もない村とも読める。自分のふるさとの村ではあるが、大きな川も自慢できる特産物もない。段々畑にできる作物を細々と収穫して生計をたてているのだろうか。あるものと言えば春先になればいたるところに生い茂るすかんぽと村のどこからでも見える半鐘が記憶に残っているのだろう。日本の山間にある村のほとんどは貧しい。今や過疎化を通り越して無人になる村も多くなり、すかんぽと半鐘だけが取り残されているのかもしれない。『谷戸抄』(2014)所収。(三宅やよい)




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