334機のB29による無差別爆撃。東京大空襲より70年が経った。(哲




2015ソスN3ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

March 1032015

 春風やピエロの口の中に口

                           佐々木ひさこ

辞苑によるとピエロは「白粉や紅を塗り、だぶだぶの衣装を着て襟飾りをつけ、円い帽子をかぶる」とされる。笑いを取るための衣装や化粧であるにも関わらず、その奇抜な姿かたちにぎょっとし、大げさに描かれているからこそ、その笑顔とうらはらにある真実の顔を探るように見てしまうのだ。作者は白塗りの顔のなかに大きく描かれた口の一部に、本当の口が存在することに目をとめる。もちろんそれはあるべき場所にあって当然のものだが、そこに悲しみが貼り付いているように見てしまうのだ。ピエロのメイクには必ず大粒の涙が描かれるという。春風のなかに立つピエロは一体笑ってほしいのか、一緒に泣いてほしいのか、胸を騒がせたまま通り過ぎる。『霧比叡』(2014)所収。(土肥あき子)


March 0932015

 嘘のような二十代あり風船売

                           壬生雅穂

い当たる。私の二十代もまた、「嘘のよう」であった。いや、作者や私に限らず、多くの人の二十代は嘘のようにあったのではなかろうか。子どもと大人との共存。そのこと自体が不思議すぎるけれど、その矛盾的存在が奇跡のように現実として動きまわっているのが二十代の人間だろう。希望と迷妄、期待と落胆、立志と虚言、純情と狡猾等々が、マグマのようにちっぽけな精神の坩堝で煮え立っている。それでいて、狂気には落ちなかった。そのことがまさに「嘘」のようではないか。作者は遊園地の風船売を瞥見しながら詠んでいるわけだが、句の感懐は風船売その人のものでもあり、作者自身のそれでもあり、また読者たちのそれでもあると思わせている。そんな二十代からははるかに遠くまできてしまった私などには、ほろ苦さを通り越して、まっすぐに肺腑を突いてくる一句のように受け取れる。俳誌「豆の木」(第18号・2014年4月刊)所載。(清水哲男)


March 0832015

 菜の花の風まぶしくて畔蛙

                           森 澄雄

蟄(けいちつ)を過ぎると、蛙は冬眠の穴から出てきます。しかし、散歩する人は、かなかな気づくことができません。鳴かず、跳ばず、不動の石のようにじっとしているからです。蛙は、穴から出てきたものの地上の生き方をすっかり忘れています。自分が跳べることも、鳴けることも忘れていて、その生を初めからやらなければなりません。私は若い一時期、蛙の観察に凝っていました。三月上旬に出会った一匹のヒキ蛙は、一歩を踏み出すまでに三十分ほどかけていました。舞踏に微足という超スロー歩行訓練がありますが、啓蟄の蛙は微足の師匠です。厳寒を越えた田んぼの畔(あぜ)は、枯れて灰白色の色あいですが、一日ごとに草の芽の緑もふえ、「畔青む」という晩春の季語もあります。掲句の畔には菜の花が咲いていて、花が風に揺れると、一面黄色くドローイングされるような光景です。暗黒の穴の中、ひと冬眠っていた蛙にとって、あまりにもまぶしい春の黄色い光です。作者は、目を細める蛙を見て、自身もまた目を細めているのでしょう。『花眼』(1969)所収。(小笠原高志)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます