午前3時、東京は雨降り。日中の予想気温は14度だそうだ。(哲




2015N223句(前日までの二句を含む)

February 2322015

 時老いてふぐりおとしもせざりけり

                           矢島渚男

はや俳句をする人のなかでも、「ふぐりおとし」が季語であることを知らない人のほうが多いのではなかろうか。厄落としの習わしの一つで、大厄(四十二歳)の男が、節分の夜に氏神様へ参詣し、人に見つからないように褌を落してくる行事だ。江戸期には、やはり節分の夜に、氏神詣でではなく、人通りの多い十字路で、人に気づかれないように褌を落として厄落としをしたと言われているが、こちらはあまりアテにならない。いずれにしても、厄落としの風習さえすたれてゆく時代だから、忘れ去られてゆく運命にある季語と言えよう。ところで、この「時老いて」という発想は、私などにはないものだ。一般的に言っても、時は老いるのではなく、逆に常にあらたまるというのが通念だろう。時はあらたまりつづけ、刻々と生まれ変わり、その一方で老いてゆくのは、我々生きとし生けるもののほうである。時は老いない。しかしこの通念をひっくり返して句のように捉えてみると、にわかに生きとし生けるものの存在は、よりはかないそれとしてあぶり出されてくるようだ。時も老い、我らも老いる。そうなると、厄年が「時にまで及ぶ」ように感じられ、その厄は我ら人間が厄落としできると信じているようなちっぽけなものではないはずである。そんな大きな厄の存在を感じている作者には、自身の「ふぐりおとし」などはどうでもよろしいとなったのだろう。『木蘭』(1984)所収。(清水哲男)


February 2222015

 共に死ねぬ生心地有り裏見の梅

                           永田耕衣

神大震災に被災した春の句です。耕衣最終の第十六句集『自人』(1995)所収。この句集を制作中の1995年1月17日、震災によって版元の創文社では、活字棚が総崩れとなりました。創文社の岡田巌氏は、急きょ湯川書房を通じて東京の精興社に活版活字を依頼するために上京します。掲句は、「白梅や天没地没虚空没」とともに、精興社が活版印刷をしている途中に補追された句です。同年2月21日、耕衣は『自人』の<後記>を岡田氏に渡します。「ミズカラが人であり、オノズカラ人であることの恐ろしさ、その嬉しさを原始的に如何に言い開くか」。掲句の「生(なま)心地」は造語です。この語を「生身、生意気」に通じる、観念ではない生きものの本情ととります。「裏見の梅」も造語句といっていいでしょう。これは、実際にやってみました。梅の花を正面からではなく、花弁の裏側から見てみました。すると、花をつけている枝が、青空に向かって斜めに伸びていく姿を見ることができます。それは、手のひらではなく手の甲を見る所作であり、人を正面からではなく、後ろ姿を見送る所作に通じます。「裏見の梅」には、震災によって、目に見える物が反転したこと、また、死者の後ろ姿を天に向けて見送る鎮魂が込められているのでしょう。(小笠原高志)


February 2122015

 雲低くなり来て春の寒さ急

                           翁長恭子

週は雪もちらついた東京、せめて春らしい句をと思っていたのだがこの句の寒さに共感してしまった。この時期は日々の寒暖の差もさることながら、一日の中でも風が無い日向はぽかぽかしていても、いったん日翳るとにわかに風が出て寒くなってしまう。まさに、寒さ急、であるが、急、でふっつりと途切れていることで余韻を生み、この後低く分厚い雲から淡雪が落ちてきたのでは、と思わせる。この句を引いた句集『続冬の梅』(1985)の作者略歴には、昭和二十三年から三十年間ホトトギス社に勤務、とあり集中には<事務の灯に春の時雨のくる暗さ>などの句も。他に<訪ふ家のさがしあてえず梅白し><春月にひとりの門扉とくとざし>など。(今井肖子)




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