東京の雪、大騒ぎしたわりには積もらなかった。春ですねえ。(哲




2015ソスN2ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0622015

 鍋鶴の首の白さの田に暮るる

                           小圷健水

本で見かける鶴は、留鳥のタンチョウ、冬鳥のマナヅル、ナベヅルなどである。ナベヅルは胴体が鍋底のように黒い為こう呼ばれ、頭上の赤は遠くからは識別しにくい程度、そして首が白。鹿児島県出水平野や山口県熊毛地域の農耕地に飛来するが、他ではまれである。迫りくる夕闇の中で鍋鶴の白い首だけが暮れなずんでいる。冬の田んぼに響くコォーォーの一鳴きが淋しい。他に<かうかうと降りくる鶴と田の鶴と><尉鶲海をはるかに天主堂><冬帽や白き扉の懺悔室>などあり。「俳句」(2013年2月号)所載。(藤嶋 務)


February 0522015

 複写機のまばゆさ魚は氷にのぼり

                           鴇田智哉

ピー機でコピーをとることは職場ではありふれた日常業務の一つに過ぎない。そこには季節感も俳句に繋がりそうなものは一見なさそうに思えるが、蓋を閉めないでコピーをとると眩い光の棒が紙を押さえる手の下を横切ってゆく。その一瞬を捉えた掲句は、日差しを受けてキラキラ光る氷とその上で跳ねる魚の像を確かな手応えをもって引きだしてくれる。「魚氷にのぼる」の季語が由来する自然事象を目の当たりにする機会はほとんどないが、この句のリアルさは複写機の光と氷を輝かす早春の光の共通項にある。それを受けて歳時記のインデックスから引き出された季語も生動するわけで、ルーチンワークになっている日常を丁寧に見直し想像力を広げれば俳句の可能性もまだまだ広がりそうである。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


February 0422015

 母逝くや雪泣く道は骨の音

                           金原亭世之介

まれている「道」は二つ考えられる。母の訃報を聞いて急いで駆けつける雪道と、もう一つは母の葬列が進む雪道である。「骨」が詠まれているところから、後者・葬列の雪道の可能性が強いと考えて、以下解釈する。葬列は静かに雪道を進む。踏みしめる雪のギュッギュッと鳴る音がする。その音は母を送りつつ心で泣いている自分(あるいは自分たち一同)の悲しみとも重なる音である。せつないようなその音はまた、亡くなった母の衰えてなお軋む骨の音のようにも聞こえる。火葬場へと送られて行く母の骨の音であるばかりでなく、送って行く人たちの悲しみで骨が軋むような音でもあるのだろう。長い列をつらねて野辺送りをする光景は、現在では見られなくなった。霊柩車が悲しみを吹き消すかのように死者をさっさと運んで行くが、雪道を進む霊柩車であっても、「雪泣く道」や「骨の音」の悲しみに変わりはない。世之介は落語協会の中堅真打で、高座姿がきれいだ。俳句も熱心である。他に「母よまだ修羅を押すのか年の暮」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)




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