立春。暦の上であろうと何であろうと、春は大歓迎です。(哲




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February 0422015

 母逝くや雪泣く道は骨の音

                           金原亭世之介

まれている「道」は二つ考えられる。母の訃報を聞いて急いで駆けつける雪道と、もう一つは母の葬列が進む雪道である。「骨」が詠まれているところから、後者・葬列の雪道の可能性が強いと考えて、以下解釈する。葬列は静かに雪道を進む。踏みしめる雪のギュッギュッと鳴る音がする。その音は母を送りつつ心で泣いている自分(あるいは自分たち一同)の悲しみとも重なる音である。せつないようなその音はまた、亡くなった母の衰えてなお軋む骨の音のようにも聞こえる。火葬場へと送られて行く母の骨の音であるばかりでなく、送って行く人たちの悲しみで骨が軋むような音でもあるのだろう。長い列をつらねて野辺送りをする光景は、現在では見られなくなった。霊柩車が悲しみを吹き消すかのように死者をさっさと運んで行くが、雪道を進む霊柩車であっても、「雪泣く道」や「骨の音」の悲しみに変わりはない。世之介は落語協会の中堅真打で、高座姿がきれいだ。俳句も熱心である。他に「母よまだ修羅を押すのか年の暮」がある。『全季俳句歳時記』(2013)所収。(八木忠栄)


February 0322015

 エンドロール膝の外套照らし出す

                           柘植史子

画の本編が終わり、キャストやスタッフの名が延々と流れるエンドロール。これが出た途端、席を立つせっかちな人もいるようだが、おおかたは映画の余韻に身を置きながら、日常へと戻っていく「次の間」のような時間を過ごす。少し明るくなった館内で丁寧に折りたたまれた外套に目を落としたとき、彼女は普段を取り戻す。そのあたりに浮遊したままの気持ちをかき集め、外套に押し込めるようにして席を立つ。それはほんの少し残念なような、それともほっとするような、映画を見終わったあとの独特の気分である。それにしても、最近のエンドロールは凝っていて、日常への入口にならない場合も多い。第60回角川俳句賞受賞。受賞作50句には〈受付の私語をさまよふ熱帯魚〉〈蜜豆や話す前から笑ひをる〉など。「俳句」(2014年11月号)所載。(土肥あき子)


February 0222015

 夫婦となり空につめたき日が一つ

                           八田木枯

感だろう。不思議に思う人がいるかもしれないが、「夫婦」という存在は、ときに独身のそれよりも小さく感じられることがある。二人だから一人よりも、世界が大きいとは限らないのだ。「肩寄せあって」とも言うように、二人だけだからこそ、一人ひとりそれぞれのの場所は狭くて小さいと思うときがある。ましてや寒い冬のさなかともなれば、空を行く日の光りも鈍くてつめたい。「夫婦」たるものは、そんな頼りなげな天空の下で、たった二人で生きていくのだという思いに、つまり二人きりであるゆえの孤独感にとらわれるのである。「夫婦となり」は必ずしも新婚を意味しない。この世に生を享け、数々の偶然事や必然事の果てに、縁あってとしか言いようのない結婚までたどりついた二人の運命のようなものを指している。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)




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