スーパーボウルだ。プロ野球もキャンプインしたし、春近し。(哲




2015ソスN2ソスソス2ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

February 0222015

 夫婦となり空につめたき日が一つ

                           八田木枯

感だろう。不思議に思う人がいるかもしれないが、「夫婦」という存在は、ときに独身のそれよりも小さく感じられることがある。二人だから一人よりも、世界が大きいとは限らないのだ。「肩寄せあって」とも言うように、二人だけだからこそ、一人ひとりそれぞれのの場所は狭くて小さいと思うときがある。ましてや寒い冬のさなかともなれば、空を行く日の光りも鈍くてつめたい。「夫婦」たるものは、そんな頼りなげな天空の下で、たった二人で生きていくのだという思いに、つまり二人きりであるゆえの孤独感にとらわれるのである。「夫婦となり」は必ずしも新婚を意味しない。この世に生を享け、数々の偶然事や必然事の果てに、縁あってとしか言いようのない結婚までたどりついた二人の運命のようなものを指している。『現代俳句歳時記・冬』(2004・学習研究社)所載。(清水哲男)


February 0122015

 天の邪鬼虎落笛をば吹き遊ぶ

                           相生垣瓜人

五は「吹き遊(すさ)ぶ」とルビがあります。そこに、へそ曲がりな天の邪鬼のふるまいが表れています。天の邪鬼は、虎落笛(もがりぶえ)で冬の烈風を吹き遊んでいる。それを聞く人は、寒々とした心持ちになりますが、性根の曲がっている天の邪鬼は、聞いて怯える子どもらを笑い飛ばしています。しかし、天の邪鬼には悪気はなく、ふつうに冬将軍を楽しんでいるだけなのでしょう。だからかえってたちが悪い。そのような、天の邪鬼を主体とした句作が面白く、それは、季節を詠んでいるということにもなります。句集には他に、「虎落笛胡笳の聲にも似たらむか」があり、「胡笳(こか)」は、アシの葉を巻いて作った笛で、悲しい音が出るそうです。また、「徒然に吹く音あれや虎落笛」。この句の主体も、風が竹垣を奏でる冬を広くとらえたものでしょう。なお、「もがり」は古くは「殯」で、高貴な人を仮葬すること。後にその木や竹の囲いをもがりと呼びました。それが、戦場で防衛するための柵となり、虎落の名がついたといいます。以降、転じて、人を通さない縄をもがり縄と言い、横車を押す者、ゆすりたかりをもがり者というのもそこから出てきているようです。だから、天の邪鬼が虎落笛で遊ぶのは、然るべきなんですね。『相生垣瓜人全句集』(2006)所収。(小笠原高志)


January 3112015

 大試験指切れさうな紙で来る

                           谷岡健彦

度か書いているが、大試験は本来三月の進級試験、卒業試験のことを表す言葉。しかしどうしても、一月から二月にかけての入学試験シーズンになると、大試験の句に目が行ってしまう。それは学校に勤めているからか、自らの入学試験の失敗が未だに思い出されるからか、その両方なのか。掲出句は、来る、の一語に臨場感があり、受験生の視点で作ることで試験会場全体に漲る緊張感が見える。受験生に、出題者の意図を見抜け、などと言うことがあるが、入学試験は紙一枚の上で繰り広げられる、作問するものとそれを解くものの一発勝負なのだ。東京の私立中学入学試験の多くは明日から三日間。他に<木枯の向かうにわが名呼ぶ声す><若書きの詩の燃え立つ焚火かな>。『若書き』(2014)所収。(今井肖子)




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