東京は積雪の予報。そういえば雪らしい雪は久しぶりだな。(哲




2015ソスN1ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 3012015

 ふくろうはふくろうでわたしはわたしでねむれない

                           種田山頭火

(ふくろう)は夜行性の猛禽類である。灰褐色の大きな翼で音を立てずに飛翔し小動物を捕獲する。その鳴き声は「ボロ着て奉公」とか「ゴロスケホーホー」などと聞こえてくる。漂浪の俳人山頭火が野宿をしながらそのゴロスケホーをじっと聴いている。梟のほうはそれが本性なのだから眠れないのだが、山頭火の方は淋しくて眠れないのか物を思って眠れないのかやはり闇の中で起きている。誰にだって寝付かれぬ夜はある。他に<だまつてあそぶ鳥の一羽が花なのか><百舌鳥のさけぶやその葉のちるや><啼いて鴉の、飛んで鴉の、おちつくところがない>など。『山頭火句集』(1996)所収。(藤嶋 務)


January 2912015

 風信子ゆっくり響く長女です

                           室田洋子

仙やヒヤシンスはいちはやく春を告げる花のように思う。水栽培にして部屋の中で育てることが昔流行っていたが、名前の響きからどこか寂しげでひんやりとしたたたずまいを感じさせる花だ。「ゆっくり響く」という形容は徐々に小花が開花するヒヤシンスの咲き方とともに、常に下の弟や妹たちに目配りをしながら生活をしている長女の在り方を表しているようでもある、この頃は子供たちの人数も少なくて生まれた順による性格付けは意味を持たなくなっているかもしれないが、おっとり長女長男と調整のうまい真ん中、要領のいい末っ子という大人数での兄弟のポジショニングを久方ぶりに思い出した。『まひるの食卓』(2009)所収。(三宅やよい)


January 2812015

 ふるさとの氷柱太しやまたいつか見む

                           安東次男

東次男(俳号:流火草堂)は山に囲まれた津山の出身。冬場は積雪もかなりあり、寒冷の地である。近年の温暖化で、全国的に雪は昔ほど多くは降らない傾向にあるし(今冬は例外かも知れないけれど)、太い氷柱は一般に、あまりピンとこなくなった。雪国に育った私には、屋根からぶっとい氷柱が軒下に積もった雪まで届くほどに、まるで小さな凍滝のごとき観を呈して連なっていたことが、記憶から消えることはない。それを手でつかんで揺すると、ドサッと落ちて積雪に突き刺さるのをおもしろがって遊んだ。手を切ってしまうこともあった。時代とともに氷柱もスリムになってきたかも知れない。「氷柱太し」という表現で雪が多く、寒さが厳しいことが理解できる。「またいつか見む」だから、帰省した際に見た氷柱の句であろう。初期の作のせいか、次男にしては素直でわかりやすく詠まれている。『安東次男全詩全句集』に未収録の俳句391句、詩7編が収められた『流火草堂遺殊』(中村稔編/2009)に掲出句は収められている。同書には「寒雷」「風」などに投句された作も収められ、処女作「鶏頭の濡れくづれたり暗き海」も収録されるなど、注目される一冊。(八木忠栄)




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