♪新しい朝が来た 希望の朝だ…。たまに歌うラジオ体操の歌。(哲




2015ソスN1ソスソス16ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1612015

 弄ぶ恋があるらし温め鳥

                           平林恵子

め鳥は一つには、親鳥がひなを羽の下に抱いて温めるそのひなの事。母の想い出には抱かれた日の温かき懐の記憶がある。温め鳥のもう一つには冬の寒い夜、鷹が小鳥を捕らえて掴かんで足を温めるその小鳥の事を言う、翌朝には放すらしい。揚句の場合は後者の鷹に弄ばれた小鳥のほうだろうか。恋は片想い専門の小生であるが一度は弄ばれてみたかった、いや面目ない。他に<山の子が海の子へ振る夏帽子><十六夜や兎の型に切る林檎><東京の大坂小坂金木犀>など。『チョコレート口に小春日臨時列車』(2005)所収。(藤嶋 務)


January 1512015

 祖父逝きて触れしことなき顔触れる

                           大石雄鬼

寒のころになると「大寒の埃の如く人死ぬる」という高浜虚子の句を思い出す。一年のうちでもっとも寒い時期、虚子の句は非情なようで、自然の摂理に合わせた人の死のあっけなさを俳句の形に掬い取っていて忘れがたい。私の父もこの時期に亡くなった。生前は父とは距離があり、顔どころか手に触れたことすらなかった。しかし亡くなった父の冷たい額に触れ、若かりし頃広くつややかだった額が痩せて衰えてしまったことにあらためて気づかされた。多くの人が掲句のような形で肉親と最後のお別れをするのではないか。掲載句は無季であるが虚子の句とともにこの時期になると胸によみがえってくる。『だぶだぶの服』(2012)所収。(三宅やよい)


January 1412015

 まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

                           久保田万太郎

が子どもだった頃の正月の行事として、1月15日・小正月の頃には、居間にまゆ玉を飾った。手頃な漆の木の枝を裏山から切ってくる。漆の木の枝は樹皮が濃い赤色でつややかできれいだった。その枝に餅や宝船、大判小判、稲穂、俵や団子のお菓子など、色も形もとりどりの飾りをぶらさげた。だから頭上で部屋はしばし華やいだ。豊作と幸運を祈願する行事だったが、今やこの風習は家庭では廃れてしまった。掲出句の前書に「昭和三十一年を迎ふ」とある。万太郎夫婦は前年に鎌倉から東京湯島に戻り住んだ。当時、万太郎の女性問題で、夫婦仲は良くなかったという。部屋に飾られて多幸を祈念するまゆ玉は新年にふさわしい風情だが、そこに住む夫婦仲は正月早々しっくりしていない。部屋を飾る縁起物と、スムーズにいかない夫婦関係の対比的皮肉を自ら詠んでいる。万太郎の新年の句に「元日の句の龍之介なつかしき」がある。これは言うまでもなく龍之介の「元日や手を洗ひをる夕ごころ」を踏まえている。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)




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