大相撲。白鵬は強いなあ。もう九年間も日本人力士の優勝はない。(哲




2015ソスN1ソスソス14ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1412015

 まゆ玉や一度こじれし夫婦仲

                           久保田万太郎

が子どもだった頃の正月の行事として、1月15日・小正月の頃には、居間にまゆ玉を飾った。手頃な漆の木の枝を裏山から切ってくる。漆の木の枝は樹皮が濃い赤色でつややかできれいだった。その枝に餅や宝船、大判小判、稲穂、俵や団子のお菓子など、色も形もとりどりの飾りをぶらさげた。だから頭上で部屋はしばし華やいだ。豊作と幸運を祈願する行事だったが、今やこの風習は家庭では廃れてしまった。掲出句の前書に「昭和三十一年を迎ふ」とある。万太郎夫婦は前年に鎌倉から東京湯島に戻り住んだ。当時、万太郎の女性問題で、夫婦仲は良くなかったという。部屋に飾られて多幸を祈念するまゆ玉は新年にふさわしい風情だが、そこに住む夫婦仲は正月早々しっくりしていない。部屋を飾る縁起物と、スムーズにいかない夫婦関係の対比的皮肉を自ら詠んでいる。万太郎の新年の句に「元日の句の龍之介なつかしき」がある。これは言うまでもなく龍之介の「元日や手を洗ひをる夕ごころ」を踏まえている。関森勝夫『文人たちの句境』(1991)所載。(八木忠栄)


January 1312015

 鮟鱇や大事なところから食べる

                           水上孤城

見からするとどう見ても美味とはほど遠い鮟鱇ではあるが、実は捨てるところなど全くないといわれるほどおいしい魚である。七つ道具とは、なくてはならない七種類のものをいうが、鮟鱇はこれ全身が美味の七つ道具。「肝」「ぬの(卵巣)」「ひれ」「えら」「皮」「水袋(胃)」「身」でしめて七つ。全体の80%が水分でさばきにくいことから、口にフックを掛けて吊し切りをするが、この七つ道具が外されると、残るは骨と口だけという心細い姿となる。掲句のいうもっとも大事な場所とはどこかと考えると、ものごとの重要を意味する「肝」に違いないと思われ、たしかにもっとも先に箸を付けたい場所だと得心する。しかし、大事な箇所ばかりを肥大させられるガチョウの不運を思うと、おいしくなりすぎるのも危険なことなんだよ、ともつぶやきたくもなるのである。『水の歌』(2010)所収。(土肥あき子)


January 1212015

 成人の日の母たりしこと遥か

                           今井千鶴子

日の「成人の日」を詠んだ句は多いけれど、掲句の視点はユニークだ。子供の生長にことよせて、現在の自分のことを詠んでいる。あんなに小さかった我が子が、つつがなく成人の日を迎えた。傍目には平凡な事実が、産み育てた母親としての自分にはとても感慨深く感じられた。赤ん坊から大人への道程には、いくつもの劇的な変化が伴う。よくもここまでと、とりわけて母親には感じることの多い日であろう。そんな特別な日も、しかしいまでは遥か昔のことになってしまった。そのことを思うと、遠くまで来たものだという新しい感慨がわいてくるのである。かつて晴れがましそうに成人式に出向いていった子どもも、もはや自分と対等の大人であり、子どものころのような劇的な変化を見せることもない。これが人生の定めである。母としての作者は、その現実に一抹の寂しさを覚えながらも、おだやかに微笑しているような気がする。俳誌「ホトトギス」(2004年6月号)所載。(清水哲男)




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