厚労省介護職員の待遇改善へ。ドロナワだが、改善しないよりは。(哲




2015ソスN1ソスソス10ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

January 1012015

 寒苺われにいくばくの齢のこる

                           水原秋桜子

苺は本来、冬苺とも呼ばれる野生の実で、これが冬苺ですよ、と言われ丸くぷちぷちとしたそれを口にした時のすっぱさと共に記憶にある。しかしこの句の寒苺は、寒中に出回っていた温室栽培の冬の苺。というのも、売っていたものを買い求め、そのつややかな色を描こうとして見つめている時に作られた句であるからだ。確かに、思わず自らの老いを自覚してしまう感覚は、大粒でみずみずしい真紅の苺の輝きがなくては生まれない。しかし、寒苺の句として読んでも、冬枯れの野に小さく実をつけた冬苺の赤を愛おしむようなやさしさがにじんで、自らの老いはとうに自覚している、というまた違った趣の一句となる。ただ、われにいくばくの、とあえて字余りのひらがな表記の中八には前者の方がぴたっとくるだろう。六日の寒の入から月も欠け始めいよいよ寒さもこれからである。『霜林』(1950)所収。(今井肖子)


January 0912015

 御降の沁みとほりたる漁網かな

                           高階和音

降り(おさがり)は元日から三が日に降る雨や雪のこと。正月のお天気は晴れても降ってもめでたい。きっと今年も豊年満作、漁も大漁だろうと縁起よい夢を占う。初漁に備えて繕はれた漁網が広げられている。網の目に沁みとおるほどの小糠雨だろうか降注いでいる。細やかに明るく光る雨粒を眺めながら、今年もきっと健やかな年になることを切に期するのである。他に<傀儡師潮に濡れたるものを履き><漁小屋に歯固めの餅焦げにけり><御降の雪浮玉を隠しけり>などあり。俳誌「斧」(2005年3月号)所載。(藤嶋 務)


January 0812015

 人減し時代に生きて鷽を替ふ

                           田川飛旅子

替え(うそかえ)は大宰府天満宮などで行われる神事。「鷽」は「嘘」に通じ、前年にあった厄を吉へ転じるために木彫りの鷽を新しいものに交換するという。理系の技術者で役員まで上り詰めた作者には経営の厳しさもサラリーマンの悲哀も両方わかる立場にいただろう。会社に育てられ終身雇用が当たり前だった時代も過ぎ、会社が生き残るための人員整理が怒涛のごとく行われた。今やリストラや転職が珍しくない時代になったが、掲句では「鷽を替ふ」という禍を転じるはずの言葉が、簡単にすげかえられるサラリーマンの首のように思えてこの神事に対してのアイロニーが感じられる『田川飛旅子選句集』(2013)所収。(三宅やよい)




『旅』や『風』などのキーワードからも検索できます