NHKTVの番組宣伝攻勢がひどい。他に放送すべきことはないのか。(哲




2014ソスN12ソスソス29ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 29122014

 暖房の室外機の上灰皿置く

                           榮 猿丸

煙家ならば、誰もがうなずける句だろう。いまではたいていの室内が禁煙だから、吸いたいときには室外に出ざるを得ない。句は、オフィスの室外だろうか。寒風の吹くなか、震えながらの喫煙となるが、灰皿を持って出ても、適当な置き場所もないので手近の室外機の上に置いている。そもそも室外機の上に物を置く行為がなんとなく後ろめたいうえに、そんなことまでして煙草を吸う惨めさが身にしみてきて、およそゆったりとした気分にはなれない。だが、それでも吸いたいのが煙草好きの性なのだ。味わうなんてものじゃなく、とにかく煙を吸ったり吐いたりする行為にこそ、意味があるわけだ。どんな職場にもそうした男たちが何人かは存在する。仕事ではウマが合わなくても、こういう場所では同志的連帯感がわいてくる。これからの季節、しばらくはこんな情景があちこちで見られるだろう。喫煙者以外には、わかりにくい句かもしれない。『点滅』(2013)所収。(清水哲男)


December 28122014

 空蝉や触るも惜しき年埃

                           永田耕衣

蝉という日本語には、雅ではかない情感があります。十七歳の光源氏が心魅かれた女性の名が空蝉でした。光源氏の夜の訪れを察して、薄衣を残して去った幻の女性です。耕衣の書斎には、自筆の書画のほかに小物、小道具、珍品が小さな博物館のように有機的かつ無造作に置かれていたと聞きました。句集では、掲句の前に「空蝉の埃除(と)らんと七年経つ」があるので、「年埃(ねんぼこり)」は、七年物です。合理主義者ならそれを、七年間放置されているゴミとみなして捨てます。年末の大掃除のときなら尚更でしょう。しかし、耕衣は「触るも惜しき」心を表明しています。蝉の抜け殻は脱皮後の抜け殻ですが、蝉がこれから生きていくためには、まったく必要のない廃棄物です。ところが、耕衣はそれを七年間書斎に置き、はじめのうちは抜け殻そのものの造形美を見ていたのが、見つづけるうちに埃が堆積してきた変化を楽しみはじめます。空蝉に堆積しつづける年埃は、砂時計が一粒ずつ落ちることによって時の経過を示すように、時間を可視化しています。拾ってきたセミの抜け殻をコレクションにしたがるのは子どもに多く、耕衣は、幼児性が抜けていないおじいちゃんであったこともしのばれます。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


December 27122014

 おほかたは灯の無き地上クリスマス

                           亀割 潔

前目にした、宇宙から見た夜の地球、の画像を思い出す。煌々と輝いている灯の美しさに驚きながら、あらためてこれ全部電気なのだと複雑な気分になった覚えがある。それは、地球という生きている星に人間が寄生している証のようにも思えた。掲出句を読んで、あらためて国際宇宙ステーションからの映像を見てみると、眩い光は深い藍色の闇の中に浮きあがっている。掲出句の作者は、クリスマスツリーやイルミネーションの光から、それとはほど遠い彼方の大地やそこに生きる人を思っているのだろうか。自在な発想は<山眠る小石の中に川の記憶>などの句にも感じられる。『斉唱』(2014)所収。(今井肖子)




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