日本海の大雪。インフルエンザの流行。大荒れニッポン。(哲




2014ソスN12ソスソス6ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

December 06122014

 蓮枯れて水に立つたる矢の如し

                           水原秋桜子

池の夏から冬への変貌は甚だしく、枯蓮の池は広ければ広いほど無残な光景がどこまでも続く。そんな一面の枯蓮のさまを目の前にして戦を想像し、折れた矢を連想することはあるだろう。しかし作者は、枯蓮が折れているところよりまっすぐなところを見ている。水に立つ、という表現には、危うさとその奥の強さが共存し、よりくっきりと折れた茎の鋭角を思わせる。この句が作られたのは、屋島の射落畠(いおちばた)。源平合戦の激戦地として知られ、源氏の佐藤継信が義経の身代わりとなって命を落とした地であるという。昭和三十年代当時は蓮池に囲まれていたようだが今はその池も無くなっている。水原春郎編著『秋櫻子俳句365日』(1990・梅里書房)所載。(今井肖子)


December 05122014

 潜る鳰浮く鳰数は合ってますか

                           池田澄子

(ニオ、ニオドリ、カイツブリ)は湖沼や公園の池などに棲み、例えば琵琶湖は鳰の湖などと称され親しまれている。しかしめったに地上には上がらず、水に潜っては魚や小エビ、昆虫などを捕食している。目まぐるしく浮き沈みする様を眺めていると、その沈んだ数と浮いた数が合っていないかもしれないなどと心配になってくる。「合ってます」とはとても確信が持てない。何しろ顔付もみなそっくりなのだ。潜った鳰が次にすぐ浮いて来るとは限らないし、長く潜っているものや直に浮いて来るものなど様々である。また浮いて来る場所にも意外性があって想定外の場所に出てくる。でも数だけは合っているはずだがなあ。『空の庭』(2005)所収。(藤嶋 務)


December 04122014

 銀閣も耳の後ろも冬ざるる

                           柳生正名

閣は金閣に比べて地味で渋い味わいの寺である。数年前に雪の京都を訪れたことがあるが、金閣は絢爛、銀閣は雪が暖かく見えるほどひっそりと静まり返ったわび姿だった。「冬ざれ」は冬枯れのさびしく荒涼たるさま、と歳時記にある。冬ざれの中に佇む銀閣は銀沙灘と向月台とそぎ落とした簡素なたたずまいが特徴なだけに、蕭条たるさまに寒さがいっそう伝わってくるように思う。銀閣も庭も冬ざれて、耳の後ろあたりからぞわぞわ来る寒さ、じんじんと足下から全身に伝わってくる寒さを感じているのだろう。底冷えの京都で冬ざれた銀閣を眺めるのは紅葉の季節、桜の季節と違った美しさを感じられていい。そのあとは熱いきつねうどんでも食べたくなるだろうな、きっと。『風媒』(2014)所収。(三宅やよい)




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