あたゝかき十一月もすみにけり(草田男)。明日から十二月だ。(哲




2014ソスN11ソスソス30ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 30112014

 池を出ることを寒鮒思ひけり

                           永田耕衣

鮒が池を出る方法は三つある。一つ目は、飛び跳ねて池辺りに出ることだが、これは自死である。二つ目は、青鷺のような大きな鳥に捕獲されることで、これも死ぬことになる。三つ目は、腕利きの釣り師にうまく釣り上げられることだ。この寒鮒の棲まいは、湖でも川でも海でもない池です。商業的な目的で作られた管理釣場に生きる鮒は、日々、鼻先にエサを突きつけられていて、食欲に関しては不感症になるくらいスレています。狡猾な釣り人とのかけひきに暮らしていますから、人間の浅知恵 くらいは学習しているはずで、少なくとも、この池の中で生き抜く能力では人知を凌駕しています。ところが今日、今まで見たことのない針の動きを目にしました。ふつうの針は、自然に漂っているように見せかけながら、しかし、釣り師の欲望は竿から糸、糸から針へと伝わってきて、それは、魚類特有の嗅覚で感知できます。ところが、この針にはそんな臭いがしない。まるで、水を釣りに来たような無欲な針である。寒鮒は、この針を目にして、釣り師の顔を見たくなったのではないでしょうか。スレているゆえに、天の邪鬼な性質(たち)なのです。さて、釣り師は、本当に水を釣りに来た無欲な御仁であったかどうかは定かではありませんが、寒鮒の口元を損なうことなくきれいに釣り上げました。その後 、リリースしたのか、自宅の水槽で飼うことにしたのか、鮒鮨にしたのか、これも定かではありません。『永田耕衣五百句』(1999)所収。(小笠原高志)


November 29112014

 なきがらを火の色包む冬紅葉

                           木附沢麦青

たこの季節がめぐって来たな、と感じることは誰にもあるだろう。それは、戦争や災害など多くの人が共有することもあれば、ごく個人的な場合もある。私の個人的な場合はちょうど今時分、父が入院してから亡くなるまでのほぼひと月半ほどのこと。病院へ向かう道すがら、欅紅葉が色づいてやがて日に日に散っていった様がその頃の心の様と重なる。掲出句の作者は、今目の前の冬空に上ってゆくひとすじの煙を見上げながら鮮やかな冬紅葉の色に炎の色を重ねつつ、亡くなったその人を静かに思っている。冬紅葉、の一語に、忘れられない風景と忘れかけていた淋しさが広がるのを感じている。『花の大歳時記』(1990・角川書店)所載。(今井肖子)


November 28112014

 田鳧群れ冠羽を動かさず

                           岩淵喜代子

鳧(タゲリ)は頭に反り返った冠羽(かんむりばね)がある冬鳥で、刈取り後の田や草地に群れて、ミューミューと猫のように細く鳴く。警戒心が強くすぐに飛び立つ習性がある。ふわりふわりとした羽ばたきも特徴である。チドリ科の30cm位の鳥でちょこまかと歩く。顔立ちがすっきりした鳥なので双眼鏡でいくら見ていても飽きない。一群れの田鳧のその見飽きない冠羽を観察していると彼等も息を詰めこちらを眺める。冠羽の動きも止まった。じっと静かに対峙する時が流れてゆく。他に<夏満月島は樹液をしたたらす><誰かれに春䡎の火種掘り出され><僧といふ風のごときを見て炬燵>などあり。『岩淵喜代子句集』(2005)所収。(藤嶋 務)




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