東京でインフルエンザが流行りはじめたようだ。例年より早い。(哲




2014ソスN11ソスソス28ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 28112014

 田鳧群れ冠羽を動かさず

                           岩淵喜代子

鳧(タゲリ)は頭に反り返った冠羽(かんむりばね)がある冬鳥で、刈取り後の田や草地に群れて、ミューミューと猫のように細く鳴く。警戒心が強くすぐに飛び立つ習性がある。ふわりふわりとした羽ばたきも特徴である。チドリ科の30cm位の鳥でちょこまかと歩く。顔立ちがすっきりした鳥なので双眼鏡でいくら見ていても飽きない。一群れの田鳧のその見飽きない冠羽を観察していると彼等も息を詰めこちらを眺める。冠羽の動きも止まった。じっと静かに対峙する時が流れてゆく。他に<夏満月島は樹液をしたたらす><誰かれに春䡎の火種掘り出され><僧といふ風のごときを見て炬燵>などあり。『岩淵喜代子句集』(2005)所収。(藤嶋 務)


November 27112014

 マフラーのとけて水かげろふの街

                           鴇田智哉

いマフラーがとけることと水かげろうには何ら因果関係はない。しかし掲句のように書かれてみると、摩訶不思議な世界が立ち上がる。水かげろうからマフラーを呼び出す感覚がすばらしい。人の首から解き放たれたマフラーが何本も何本もボウフラのように立ち上がりユラユラ揺れる水かげろうになってしまったようだ。冬の季語としてのマフラーの本意に縛られていてはこのような発想は生まれてこない。この句を知って以来。川沿いに続く白壁に揺れる水かげろうを見るたび、マフラーの乱舞に思えて仕方がない。『凧と円柱』(2014)所収。(三宅やよい)


November 26112014

 凩に襟を立てれば戦後かな

                           阿部恭久

年の凩一号は、関西・関東地方とも10月27日に記録されている。日増しに寒さはつのるばかり。ワイシャツでもコートでも、襟を立てている若者がいるし、普段はオシャレでなくとも凩が強い日だと、人は思わず襟を立てたくなってしまう。あの襟にはそういう機能も果たしているのだ。思い出すのは、寺山修司は凩や寒さに関係なく、普段から意識的にコートの襟を立てていることが多かった。それがまたカッコ良かったよなあ。カッコ良くない人は、どうか気取って襟など立てませんように。襟が汚れるだけですよ。襟を立てることによって戦後がはじまったわけではない。けれども「襟を立て」るという、ちょっと気取った様子と「戦後」のうそ寒さが妙な具合に呼応して感じられ、どこかホッとさせられるような、懐かしいような……。敗戦で精神的に落ち込んでいた日本人の、やり場のない淋しさ、悔しさ、窮乏感と寒さが、凩と向き合った際、せめて襟を立てるという行為が凛と身を起こしてくるように、私には感じられる。この句に「外套は二十世紀も擦切れて」がならんでいる。「生き事」9号(2014)所載。(八木忠栄)




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