安倍首相の自画自賛スピーチは聞き飽きた。無内容かつ下品だ。(哲




2014ソスN11ソスソス19ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

November 19112014

 恋人と小さな熊手買いにけり

                           清水 昶

うご存知だと思うけれど、清水昶句集『俳句航海日誌』が、今年度の「日本一行詩大賞」特別賞を受賞したことをまず喜びたい。天国の昶はもう何回も祝杯をあげてもらい、上機嫌でかつてのように酒酒酒の日々だろうと推察される。本当によかったね、カンパーイ! 生前の余白句会の場で昶はいろいろあったにせよ、厖大な数の句から井川博年他の方々が苦労して選句したもので、改めてまとめて読んでみるとおやおや。「いいじゃないか!」という声が少なからずあがった。やはり俳句は束にして読みたいものだ。先夜は彼の誕生日の小さな集まりが、彼が入りびたっていた吉祥寺の中清であった。急逝からはや三年半になる。掲出句は2004年の作だ。素直でかわいい句ではないか。今年の一の酉は今月10日だったが、二の酉は22日。私は十年前、ごったがえす鷲神社まで行った際、バカでかい熊手とそこに添えられた「石原慎太郎」という大きい札を見て、しらけてしまったことが忘れられない。ずらりとならぶバカでかくて派手な熊手は見るだけして、買うのはもちろん小さいほうだ。掲出句の隣に「とことこと我に従ふ寒鴉」という句がならんでいる。寒鴉よ、昶に従ってどうなるというのだ?『俳句航海日誌』(2013)所収。(八木忠栄)


November 18112014

 返り咲くたんぽぽに茎なかりけり

                           福神規子

り花とは本来咲くべき季節ではない時期に、陽気の具合で咲いてしまう花。小春日のあたたかな日だまりで、たんぽぽの黄色が鮮やかに目に飛び込むことがある。たんぽぽの生育環境はかなり過酷でも、たとえばアスファルトのわずかな隙間でも育つことが可能だ。とかく生命力の強い植物は嫌われる傾向にあるが、その姿かたちによって誰にも愛される花である。葉を地面にぴったりと放射状に広げることで、一枚一枚重ならないようにして日照面積を多く取るような工夫がなされ、茎の長短も実はエネルギー効率をしたたかに考えたものだ。しかし、たんぽぽは可憐な風情をくずすことなく、寒風のなかでわずかな日向にしがみついているようにも見え、ことさらいじらしく映る。思わず膝を寄せ「大丈夫?」と問いかけてしまうほどに。〈鍵穴は古墳のかたち梅雨深し〉〈ままごとにかあさんがゐて草の花〉〈さりながら人は旅人山法師〉『人は旅人』(2014)所収。(土肥あき子)


November 17112014

 昔々勝手にしやがれという希望

                           甲斐一敏

うか、もうゴダールの映画『勝手にしやがれ』は、「昔々」の域に入っているのか。調べてみたら1959年の製作だから、五十年以上も昔のフィルムである。見ていない人には説明の難しい映画だが、ストーリーとしては、官憲に追われた街のチンピラやくざ(ジャン・ポール・ベルモンド)がガールフレンドのアメリカ娘(ジーン・セバーグ)の密告で追いつめられ、最後は路上で警察の銃弾を受けて虫けらのように死んでいく、という単純なもの。しかしこのストーリーの画面上の展開技法は従来の映画の文法を打ち破る画期的な作品で、当時の若い映画ファンの度肝を抜いたのだった。ああ、映画はこんなに自由なメディアなのだ。見ていて、体中の神経や筋肉の緊張がが解き放たれるような気分であった。作者が「希望」と言っているのは、思想的な問題もさることながら、そうした自由気ままな雰囲気から触発された多くのことを指しているのだと思う。日本語のタイトルは「勝手にしやがれ」だが、原題は『A BOUT DE SOUFFLE』で、直訳すれば「息切れ」とでもすべきだろうか。これを大胆に改変した日本語のタイトルは、秀抜である。この絶妙な日本語タイトルとあいまって、若者の「希望」はなお色濃くなったと言ってもよさそうだ。『忘憂目録』(2014)所収。(清水哲男)




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