全国的に秋晴れ。が、冬将軍の足音も。九州からも初霜の便りが。(哲




2014ソスN10ソスソス24ソスソスソスソス句(前日までの二句を含む)

October 24102014

 田鴫鳴く眠れぬ夜の畦歩き

                           西谷 授

鴫は冬に向かって旅鳥として渡来し、水田跡、蓮田、湿地等で捕食する。ふだん日中は草陰、稲の切株の脇にじっとしている。安全な場所では日中も餌をとるが普通は夕方頃から土の中に長いくちばしを突っ込んでミミズや昆虫をあさる。日常の諸事に患って眠れぬ夜がやってきた。胸に響くざわざわとした喧騒を静めるべく一人外へ出る。土手へ出る畦道を歩いていると恐ろしいほど淋しくなる。傍らに何に怯えたか田鴫が鳴きだした。「お前も俺とおなしだな」と作者はつぶやきつつ歩く。他に<大和路の稲架それぞれに小糠雨><居眠りの猫見張りをる大根干し><時雨るるや母の傘追ふ赤い傘>など在り。『鄙歌』(2002)所収。(藤嶋 務)


October 23102014

 二階へと上がってからの夜長かな

                           小西昭夫

っきり夜が長くなった。夕食もすんで二階へ上がる。今まで自分もいたリビングのテレビの音や家族の声が少し場所を離れることでよその家のように聞こえる。網戸を透かして外から部屋を見たり、ビルの屋上から自分の家の屋根を眺めたりするのと似た心持ちだ。平屋ではなく上がり下がりする階段がその距離感を生むのだろう。夏だと明るい時刻なのに夜の帳は降りてきて、ひとりの時間はたっぷりある。本を手に取ったり書きものをしたり、家族から離れて自分だけの固有の時間が始まる。『小西昭夫句集』(2010)所収。(三宅やよい)


October 22102014

 河添の夜寒かなしき洲崎かな

                           芝木好子

崎は現在の江東区東陽町にあたる。昭和33年3月31日まで、吉原とならんで赤線の灯がともっていた。それを描いた川島雄三の傑作映画「洲崎パラダイス赤信号」(1956)が忘れられない。新珠三千代主演で、なぜか河津清三郎と轟夕起子も忘れがたい。その原作こそ芝木好子の小説「洲崎パラダイス」だった。現在の東陽町にはマンション群が建ちならんで、あのパラダイスの面影はなく、「夜寒」もすっかり様変わりした。この「河」は隅田川だと思う。(小名木川ではあるまい。)浅草で育った好子には、もともと一帯の土地勘があり、「洲崎パラダイス」を書くにあたって取材もしただろうから、赤線の街の夜寒は敏感に感じていただろう。河添の街の夜寒は格別かなしいだろうし、夜ごとの灯りも女も、やってくる男たちもかなしい。こういうかなしい街がなくなりつつあるのは結構だが、「女性が輝く職場」を標榜して、内閣の認証式で女性閣僚を周囲に侍らせてにっこりしていた総理大臣に、あきれて二の句がつけなかったのは、私だけだろうか。久保田万太郎に「吉原の菊のうはさも夜寒かな」がある。『文人俳句歳時記』(1969)所収。(八木忠栄)




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